04/26・ソラクに果つ

その2〜千仏洞渓谷から主稜線へ


飛仙台からは深くえぐられ、左右に岩の壁が迫る渓谷の底を這うように進む。
この千仏洞渓谷は見事なV字谷になっていて、歩くものを圧倒するような迫力を持っている。見上げると遥か彼方に主稜線と思われる雪をかぶったシルエットが見える。
両岸には歩く余地はほとんど残っていないため、遡行するにはいささか強引とも思えるように設置されているオレンジ色の鉄パイプで組まれた手摺りとステップを頼ることになる。
水量はぐっと減り、水の透明感が幾分増したよう。流れに沿って歩くのは、その景観が美しいという取り得はあるけれど、いつも水の音が響き、野鳥のさえずりや風の音が耳に届かない淋しさもある。
ゲートからすぐのコース沿いにサクラの木が一本生えている。満開を少し過ぎたほど。まだほとんど花を残しているが、一度風が吹けばはらはらと落ちてしまいそうなはかなさを感じさせ、枝先には葉の緑がほんの少し顔をのぞかせている。宿舎の前にあるサクラ並木はすっかり葉桜だったから、幾分季節を逆行してきたようだ。そんなことを考えていたら、日が当たらない沢の対岸にはかなり汚れた雪渓が残っていた。これから先が思いやられる。
千仏洞渓谷はまだそんなに高度差はないし、息が荒くなることも無い。ただ少しだけ空気が冷んやりとしてきたような気がする。鉄パイプを頼ってどんどん距離を稼ぐ。この流れに侵食されて出来た奇岩が左右に現われ眼を楽しませてくれる。
次々と目を楽しませてくれる 男性的な岩には驚かされます

ひときわ大きな岩(これは岩と言うよりも、ほとんど壁?)が眼前現われると、これが鬼面岩。この壁を巻いたところに表示板があるので、ほんとに鬼のように見えるのかどうかはわからなかった。しばらく歩き、デチョンボンまで6kmと表示のあるポストで一息入れる。

もうここまで来れば、季節は晩冬。コース上に雪が残っていても驚かない。
木々はまだ裸のままで芽吹きの季節を待っている。ただ、陽差しだけは4月の暖かい太陽が降り注いでいる。黄色い花を見つけた確かこの花はマンサクだったか。サクラではなく、何故か韓国の春には黄色い花が似合うような気がする(その代表がレンギョウ・ケナリかな)。
日陰でも輝くような黄色 可憐な花を咲かせるスミレ(?)

ザラメ状の雪があちこちに残り、ザクザクと踏みしめて歩く。渓谷の中でも常にどこかに例の鉄パイプが視界に入るのでコースを失う心配はいらない。もう少しで陽瀑山荘。このあたりまで来ると、大まかなコースはわかるけど、どこがコースでどこがコース外なのかの見分けは難しい。雪の上には踏み跡はほとんど残っておらず、間違えるとズボっと膝の上まで埋まってしまう。
予想外の立派な建物が視界に入ってくるとここが陽瀑山荘。トイレの横から入る。営業はしていない。人の気配がない山小屋はなんとなく淋しいもんです。
ここのベンチでもう一度一息入れる。トイレを借り、ここで大休止として、朝食代りにゼリーを二つ。水も飲む。時計を見るとだいたい地図に書いてあるコースタイムとほぼ同じ。いいペースで上がってきているようだ。
陽瀑山荘から見上げると、千仏洞渓谷のドンづまりはかなり高度があり、その深く掘れた渓谷にはそうとうの雪が残っているのが見える。想像以上に大変なところへ来てしまったのか...。

ザラっとした雪がたっぷり 千仏洞渓谷の合間から大青峰が顔を出す

陽瀑山荘からは本格的な雪渓歩き。
しまった、アイゼンよりもストックが有効だったかなぁ。ほとんど踏み跡が無い雪渓は斜面にせり出していて、一歩間違えると数十メートル下の谷底まで一直線。ちょっとビビりながら慎重に足を進める。自分が蹴った雪の塊が落ちていくのを片目で追いながら震えてしまう。一歩一歩ステップを切ってバランスを取りながら歩くのは始めての経験。
そんな雪渓歩きばかりではなく、相変わらず朱塗りの鉄パイプを頼って距離と高度を稼いでいく。両側はぐっと狭まり、水量もずいぶん落ち着いてきた。
しばらく進むとこの谷とも別れを告げる。今回は南を向いた斜面。従って雪は全く残っていない。この両極端こそ魅力でもある。木立の中を一気に駆け上がる。これがなかなかきつかった。手を使って這うまでは行かないが、音を上げそうになる。途中、紫色のスミレ(?)の群落。あまりのかわいさにちょっと写真を撮るふりをして一休み。

やがて鞍部に出た。いやぁ、きつかった。
鞍部に出て少し進むと景観がいい岩場がある。ここからはこれから目指す主稜線が手にとるように見上げられる。いずれもすっぽりと雪をかぶり、これからの困難を想像させる。それにもう随分歩いてきたように思うけれど、デチョンボンはあんなに遠いの? 本当に歩き通せるのか不安を感じる。

快晴の空の下、主稜線を望む(遠いなぁ!)
手前(右)から小青峰、中青峰、大青峰

ここから見下ろせば次の休憩地、喜雲閣退避所の建物も視界に入ってくる。何よりも稜線を吹き抜ける涼風が火照った身体に気持ちいい。
今まで歩いてきた千仏洞渓谷は、ここからは谷底を這う流れこそ見えないが、そのV字谷の縁を彩っていた巨岩奇岩を眼下に見下ろせるのはなんとも言えず爽快な気分。上空は若干かすみがかかっているが、雲もほとんど無い絶好のコンディション。
一旦、この鞍部から下り(もったいない!)、喜雲閣退避所。ここは高原の山小屋風で、もしここまでクルマかなにかで来ることが出来るなら、絶好の観光スポットとなるに違いない。先ほどまでとは違う沢には手が切れそうに冷たくて、透明感満点の山の水が流れている。
当然、再び大休止。ゼリーを二つ食べる(飲む?)。

もうこの先はデチョンボンまで何もない。先ほど見上げた稜線を目指して、ただただひたすら歩き通すだけ。
主稜線まで一気に高度を稼ぐ。今まで沢沿いの比較的高度差を感じさせないコースだっただけに、ここからは本格的な山道。谷沿いのコースではないため、ここまで親しんできた鉄パイプはもうほとんど無い。
いきなりの急登が迎えてくれる。ただ、この斜面には雪が残っていない箇所があるのが救いか。
もう歩き出してから5時間が経過して、いつもだったら汗をきれいに流してビールを飲んでいても不思議ではない時間だけに身体が重いよ。一歩一歩踏みしめるように歩く。
しんどさのあまり、ついつい足元だけを見てしまう。すると、このあたりも花崗岩で出来ているようで、風化の度合いはかなり異なるけれど、六甲を歩いているような錯覚に陥る。ただし顔を上げると、そこにひろがっている風景は全然違うけどね。

やがて、喜雲閣退避所手前の鞍部で見上げたときに、主稜線の右端にあった大きな岩が近づいて来る。「これってさっきの岩かなぁ」なんて思いながら歯を食いしばると、いつのまにか眼下に去っている(そんな訳ないやん!)。
次第に、コース上はほとんど雪だけになり、途中何度も何度も小休止を入れて、こまめに水分を補給して進む。だんだん歩くのが嫌になってくる。
あの木まで頑張ろう。あの岩まで行ったら一息入れよう。あそこが稜線に違いない。様々な手近な目標を決めて、自分を騙しながら進んで行く。それでも小休止の間隔がどんどん狭くなっていく。着ていたヤッケも脱いでしまった。こんなに雪だらけなのに、温度計を見ると15度ほど。もっと暑く感じるぞ!
途中、お腹がグーグー鳴って、思わず高カロリーバナナクッキーを頬張ってしまう(意外と旨かった)。ほどなく、左膝のすぐ上の筋肉が悲鳴をあげ始め、びんびん痛くなる。手で揉む。すると今度は右側も同じ筋肉がびりびりしてくる。出てくるのはため息ばっかり。

喜雲閣退避所を出てからもう10回目だったろうか、小休止を終え歩き始めると、頭上に空が大きくなってきた(ような気がする)。
もう一息かもしれないと、ねじを巻きなおして足を進めると、山道のコースが急に角度が鈍り、確かに空が広くなった。ちょっとした雪が無い広場になっているその先にはポスト(標識)が立っている。どうやらここが小青峰のようだ。
良かった! やっと主稜線に辿り着いた。
向こう側の谷から吹き上がってくる強い風がなんとも気持ちいい。右手奥には小青待避所の建物が見え、その先には遥かかなた向こうまで山が連なっている。左手にはもう指呼の間に中青峰、大青峰が見える。振り返ればちょっとぼやけているけど日本海(東海・トンへ)が外雪岳の山々の向こう側に広がっている。
そんな景色よりも、これでもう厳しい登りを歩かなくてもいいのかという解放感、喜びで一杯だ。
とうとうここまで来たか!

ようやく小青峰に到着! 北西を眺めると延々と山が...

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