04/26・ソラクに果つ

その3〜最後のアプローチ


ここまでは「男の中の男」って感じの険しい山容を見せていたソラクサンだが、主稜線に辿り着き小青峰まで来れば、その姿を女性的なものに変える。目指す大青峰も中青峰の先にまるで丘のようになだらかに連なっている。稜線に出てからは木立らしい木立がないのも女性的に見える大きな原因だと思う。

「さぁ、もう一息や」
ここまでにだいぶ時間を喰っているので、この小青峰ではさして立ち止まらずに、雪の中を歩き始める。ここからはもうキツイ登りはないので、気もはやる。もうすっかりおなじみになったザラメ状の雪はこの稜線にもたっぷりと残されている。ひどい箇所では腿のあたりまでずっぽりと埋ってしまう。
中青峰はその頂きに、白い多面体の建造物が二つ鎮座していて、少し興醒め。通信用施設なのか軍事用の施設なのかはわからないけれど。ずいぶん接近してから、この中青峰には到達できないことが判明した。雪の中に有刺鉄線が張り巡らされており、危うくその上を通り過ぎてしまうところだった(それだけ雪が深かった)。本来ならコースそのものが迂回しているのだろうけど、雪のためにコースを見失っていたのだ。
この中青峰の中腹の迂回路から大青峰に至る鞍部までの間に、最後の朱塗りの鉄パイプのステップがある。このあたりも相当深く雪が残っていて、うっすら踏み跡が残っていなかったらコースもヘチマもない状態。ここでも一歩間違えれば、今度は数百メートルは滑落するんだろうなぁ、そんなことを頭の片隅で考えながら通過して行く。でももう、この程度には慣れっこになっていて、ビビることもなく、そんなに危ないとも感じていなかった。

中青峰の迂回路から見る大青峰 大青峰から見下ろす中青峰

やがて、コースは下りになり、鞍部にある山小屋の姿がはっきりと見えてきた。ここから見下ろす山小屋とそれに併設されているヘリコプターサイト、それにそこから連なる大青峰までのコースには雪が全く無い。 ふと、山小屋から人が出てきた。この日初めて見る人影。

やがて、雪が消え、鞍部に到着。山小屋から出てきたおじさんに挨拶をする「こんにちは」。きっと元気が無い声だったんだろうな。
まぁ、それはともかく、このおじさんも挨拶を返してくれ「こっちに来い」と手招きしてくれる。招かれるまま大青峰の山小屋に入った。
内部は外部から想像以上に広く、清潔。エントランスにはカップ入りの辛ラーメンとペットボトル入りのミネラルウォーターがダンボール包装のまま大量に天井まで積み上げられている。
入ってすぐ右手に管理人用の部屋があり、そこにもう一人のおじさんがいる。 このおじさんがさらに手招きをするので、彼とカウンター越しに向かい合う格好になる。いろいろ詰問調に話し掛けてくるけど、お互いさっぱり要領を得ない。自然と紙と鉛筆が出てきて筆談となる。
曰く「今は山火事防止のために入山規制が行われている」「何か特別な許可は持っているのか?」
そうか、山火事注意ではなく「入山禁止」だったのか! どうりで、人気が高い山域なのに人が歩いていないと思ったし、真冬でも営業しているはずの途中の山小屋や避難所が閉まっている理由もわかった。
曰く「不注意。過怠金(罰金ね)500,000ウォンを支払わなければならない」 ちょっと青ざめる。そんなにお金は持っていないよ! 
だいたいそんなことが告げられて、このおじさんが言っていることを理解できた。
でも、ボクはここまの疲れとショックで、ちょっと口も利けないょ。

その後、ちょっとした取調べを受ける。その表情は険しくて有無を言わせないものがあった。
まず、身分証明書の提示を求められる。残念ながらパスポートは宿舎に置いてきている。こんな場所で自分が誰なのか証明する手段は何一つ持ち合わせていない。ちょっとしてから、日本の運転免許証を持っているのを思い出し、それを見せる。この小屋にはコピー機があって、最初のおじさんが(この人は終始ニコニコしていて心を和ませてくれた)免許証をコピーする。
それから、今日ボクが歩いてきたコース、出発した時間、泊まっているホテル、これからの下山コース。いつ韓国に来ていつまで滞在するのかなど、根堀葉掘りとまでは行かないが英語と筆談を織り交ぜて詳しく尋ねられる。
次に、衣服や持ち物を詳しく調べられる。ポケットの中身はもちろん、ザックの中身も仔細に点検された。うーん。これって何を調べているのかなぁ。
そうしている間にも、無線や電話で各地(?)と盛んに喋っている。

「うーん。強制送還でも喰らうんかなぁ?」
しかし、ホテルの人も束草の登山道具を扱うお店の人も「入山規制中」なんて一言も教えてくれなかったじゃないか!
こうなったら、ヘリが迎えに来てくれて、それに乗せてもらえれば楽に下山できるのになぁ、なんてノンキなことを考えていた。なにしろ、もう疲れ果てていて、あんまりまともな思考は出来なかった。
そんなことよりも、本当は「こんなことで日本人の評判を落としてしまうのは、何とも情けないお話しだなぁ」と反省と言うより後悔しきりだった。

やがて、下界との調整がついたようだ。今まで厳しかった最初からカウンターの中にいたおじさんの表情がいきなり柔和になっている。
曰く「You are Free」

どうなっているのかちょっとわからないけれど、無罪放免となったようだ。
一度全部出したザックの中身を再び詰め込むのを手伝ってくれる。この二人が興味を示したのはデジカメ。「二人を写そうか?」と身振りで示すが「とんでもない!」って表情だ。ただ、ここまでの途中で撮ってきた写真を再生表示すると驚いたように小さな画面に見入っていた。
ストーブにもその小ささに驚いていたが、ここは国立公園なので火気は厳禁だと言われる。携帯用灰皿を見て「No Smoking!」。
もうすっかり態度は軟化していて、空になった水が入っていたペットボトルに水を補給してくれる。またカップ麺を見て「ここで食べるか?」と尋ねてくれた。まだ残っている唯一の食糧であるカロリーメイトのビスケットを目にして手がとまる。「ビスケット」と言って、ここは箱ごと進呈しておいた(もの珍しそうに素直に受け取ってくれた)。
「下山はオセッだな。転倒に気をつけろ。目印にカラーテープがあるから見失うな。下山口には連絡を入れておくから18:00までには通過しろ」とアドバイスをしてくれる。
「そして、次回はちゃんと入山期間中に登って来い!」

この間、およそ30分ほどだっただろうか、途中は生きた心地がしなかったけれど、最後の5分ほどで心も身体もほぐれた。最後にはこの二人とがっちり握手をして別れる。
もちろん、ボクは反省しきり。そして未だに高揚した気分とホッとした安堵の気分とが入り混じって複雑な感情。振り向くと、二人は小屋の入り口に入るところで、ボクに手を振ってくれる。
「ご迷惑をおかけしました」


このちょっとした(?)事件でさらに時間を喰ってしまった。
山小屋を出てからすぐに上り、雪もなく綺麗に整備された大青峰への最後のアプローチ。この道を1/3も行かないうちに、休憩後すぐに歩き出したせいか左足のふくらはぎが猛烈に痛み出す。筋肉痛とかの生易しさではない。立ち止まって痛い箇所をさすってみるとふくらはぎ全体が硬くなり、その上に痛い場所は膨れ上がっている。肉離れでもないしなぁ。揉みほぐすと随分ましになった。
何しろ大青峰はもう一息のところにある。ここで立ち止まってはいられない。 歩き出すと、数歩で今度は右のふくらはぎが同じような症状を訴える。揉みほぐす。こんなことを数度繰り返しているうちに広い場所に出た。ふと目を上げると、何度か写真で見た大青峰の石碑が目の前に鎮座している。

「とうとう、辿り着いたんだ!」

紆余曲折、ようやく辿り着いた大青峰

あっけない。あまりにもあっけない到着に、普段なら感じる達成感も感激も沸いてこない。さっきのことがまだ尾を引いているのだ(当たり前だけど)。
この山頂は想像以上に広くてなだらか。ごつごつとした岩が転がっているが、50人ほどならお弁当を広げられそうなスペースがある。ここにも周囲にも雪は全く無い。今までさんざん雪の中を歩いてきただけに不思議な気もする。
もちろん、人っ子一人いない。
上空は雲ひとつ無い青空が広がっている。気温は10度ほどだが、そのさんさんと降り注ぐ陽の光で寒さは全く無い。風は少し頬に当たる程度だ。
13:30。スタートしてから8時間半。ようやく着いた。


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