インドカレー伝

リジー・コリンダム 河出書房新社 ISBN:4309224571



  

この本はインドのカレーがどのように世界中に広まって行ったのかをあらわしているようで、実はもっと複雑な文化の伝播について語っているのだと思う。
すなわち、植民地であるインドに赴任した“大雑把な英国人”たちがインドの料理(文化)に出会い、それがどのように変容しながら地球上に広がっていったのかを示している。
西洋文明は大航海時代を経て東洋の神秘に直接出会い、その後の産業革命の時代を経て、様々な要因を持って目覚しいスピードで人と文化が交流する時代において、その独自の文化を守ることがいかに難しく、そしてある意味“意味がない”ことなのかを、インドを代表する料理(?)であるカレーを例にとって説明している。
訳者があとがきで述べている一文が面白い「日本人が崇拝してきたイギリス人も、実はこんな人々だったのだろうかと驚きとともに疑問ががわいてくる」

この本の中で繰り返し述べられているのは、インドの人々であれ英国人であれ、他国の食べ物(文化)をそのまますんなり受け入れることは少なく(もちろん例外もあるけれど)、その地その地で受け入れられやすく独自のアレンジや解釈が加えられるということ。
英国人が今日本で食べられているカレーライスの原型を作ったのもそうだし、英国人たちが莫大な予算を計上してインドに根付かせた紅茶を飲む習慣しかり。
しかし、ジャガイモや唐辛子がアジア原産ではなく、アメリカ大陸から持ち込まれたものだとは知らなかったなぁ...。

“(インドの人々は)地域ごとの土壌と水の特質が、収穫される穀物に吸収されるのだと考えている。穀物を食べると、こうした特質が民衆に伝わり、力が与えられる。村の土地で育てた米は、市場で買った米よりも栄養価に富んでいて、満腹感があると重宝される。地元で栽培された米を食べれば、村人は故郷の自然の力で満たされ、その共同体に結び付けられる。” なるほどなぁ、この考え方は理解できるし、ボクだって丹後のお米は美味しいし、田舎から届く野菜には特別な意味がある。

何年か前に「日本の味醤油の歴史」(林玲子・天野雅敏編 吉川弘文館 ISBN:4642055878)を読んだときと同じようなことを思った。それは、食物というのは確かに文化で、それもうんと保守的な文化なんだと再認識したこと。
保守的なだけに、一度受け入れられるとその後はその文化の中で独自の発達を遂げていくということか。
その証拠の一つに、世界のどんな街角にも中華料理の食堂が存在していることが挙げられると思う。インド料理がカレーで代表されるように、中華だって各地ですっかり定着している。しかし、考えてみればあんなに広い中国で食べられている料理を“中華料理”なんて呼ばれている一つのカテゴリーでくくれるわけはないのだ。じゃ、今ボクが王将で食べる中華料理は一体何なのだろう?

読んでも楽しいわけでもなんでもないけど、面白い部分があるのも確かです。

おしまい。