10/21・丹後のランドマーク・依遅ケ尾(いちがお)

またの名を「三水が嶽」という


先週の金曜と土曜は東京にいました。抜けるような青空が広がっていて。ホントにいい天気でした。こんな日に横山岳を歩いていれば、さぞかし気持ち良かったでしょうに、息が詰まりそうな東京の雑踏を歩いていました。

日曜は故郷の丹後へ行ってきました。朝の6時に出発。途中、ガソリンスタンドやコンビニへ寄ったりして、宝塚ICから中国道にのったのは6時半を過ぎていました。
明るくなってくると、昨日までとは打って代わって、今にも泣き出しそうな分厚い雲。どうもアカンなぁ。
舞鶴道の西紀SAではとうとう降り出してきました。福知山で高速を降りる頃には本降りになって、せっかく早起きして出てきたけど今日の山歩きはムリかなぁ。

国道428号線に入ったころから、地面は濡れていない。今日は北からではなく、南から天気が変わっているのかな。
弥栄を抜けて、丹後町の豊栄地区に入り、「依遅ケ尾」の表示を右に曲がると次々に「あっち」「こっち」と案内板が出てきて道に迷うことはありません。 7〜8台は止められる駐車場に到着したのは8:30ごろ。もう1台京都ナンバーの車が止まっていて、中にいる男性は空模様と相談しつつ、歩こうかどうしようか迷っている様子。ボクは濡れても、先週に比べたらずっとマシなので、躊躇することなく準備開始。

「そっち」や「こっち」「あっち」が道案内してくれます

昨年の11月に続いて二度目の依遅ケ尾。だから、期待感というのは無いけれど気は楽ですよね。駐車場から綴れ折りの林道風の道を上がると、間もなく「ありが棟」という建物(?)に到着。ここには「いちがお塾」の方が登山記念の焼き板を用意してくれている。
ここから、山道が始まる。

一言でこの山を表現すると「静かな山」と言うことになる。クルマの騒音も何もない。耳に聞こえるのは風に揺れる葉の音とボクが歩くたびに落ち葉を踏みしめる足音がするだけだ。秋の名残の虫の声と、何処にいるのか野鳥のさえずりが時々耳に届く。今日は南からの湿った風が強い。
急登とまではいかないけど、いい汗をかかせてもらえます。都会を歩いて溜まった疲れが汗と一緒に流れ出る。代わりに丹後の自然が少しボクの中に入ってくる(こないか?)。
きっちりと下草が刈ってあり、とても歩きやすい。途中に「ガンバレ」とか「スピードダウン!」とか「ここでいっぷく」なんて看板が下がっていて、ついつい心が和みます。

ここらで一休み

頭上が開けてきたなと感じたらもうそこは頂上のすぐ近く。最後の坂を上がると石の祠がある頂上広場です。
いつの間にかびっしょりの汗。ほてった身体に少し強い風が心地良い。この祠からもう少し東へ行ったところに三角点がちょこんとあります。リュックを置いて、三角点にご挨拶。
三角点を過ぎてもう少し行くと東方面の展望が開けていて、眼下には宇川の集落と犬ケ崎が一望できます。今日は日本海もすっかり鉛色だけどね。
祠まで戻ると西の方は、今通り過ぎてきた豊栄の集落に、間人(たいざ)、丹後町の役場、立岩そして網野の町も視界に入ってきます。
去年は遠く氷ノ山や扇ノ山まで視界に入ってきたけど、今日は重そうな雲がたれ込めて視界はそう効かない。ちょっと残念だな。
南は山々のシルエットが重なりあっている。あれが碇高原かな。

ストーブに火を入れてコーヒーの準備をしながらケイタイでメール。ドコモは偉いなぁ、何処を歩いていても山頂は圏内であることが多い(数少ない例外は六甲の最高峰の三角点付近)。
お湯が沸いた頃にはすっかり汗が冷えて寒くなってきた。

帰りは急ぐ道でもなし。ツバキの実を探してゆっくり歩く。でも、実が付いてない。おかしいなぁ。必死になって探して、ようやく一個だけ見つけました。これは大事に育てないとね。
途中、ふと足元を見ると10センチほどの物体が!
もう10月も終わろうかと言うのにね。撮影だけして、木の根元に返しておきました。

これが「10センチほどの物体」の正体です!

阪神間からわざわざ山あるきするためだけに行く山ではないけれど、静かで自然がそのまま残っていて、歩きやすい。ほんとにいい山ですよ。小学校に上がっていればお子さんでも充分楽しめるコースです。
登山道はよく整備されていますし、迷うような箇所も皆無です。
ボクが下山して着替えていると、小学校3年生というお嬢ちゃんを連れた親子三人がクルマで到着されました。「どうですか?子供でも大丈夫ですか?」と尋ねられたので、「大丈夫ですよ、1時間ちょっと頑張って下さい」とお答えしました。
依遅ケ尾(いちがお、かなり難読ですね)は540mの独立峰、地図は1/25000で「網野」に載っています。

豊栄から依遅ケ尾を振り返る、独特のシルエットは丹後のランドマークです

おつかれさまでした。

 

登山口・駐車場(8:50)〜ありが棟(8:58)〜
ここで、いっぷく(9:10)〜鳥居跡(9:20)〜
(9:35)山頂(10:10)〜登山口(11:05)

下山後、すぐそばにある実家に行き、この依遅ケ尾について聞いてきました。
昔からこの山を「依遅ケ尾」と呼んでいたのは豊栄地区だったそうで、実家がある竹野地区ではこの山を「三水が嶽(さんすいがだけ)」と呼び、普通は「嶽(だけ)」と略して呼んでいたそうです。
どうして「三水が嶽」なのかというと、この山からは三方向へ川が流れ出していて、一つは竹野地区へ、もう一つは宇川地区へそして豊栄地区へと流れているからだそうです。
戦後の昭和30年頃まではこの「嶽」の中腹で農耕牛の放牧が行われていたそうです。この山で牛の放牧をしていたのは竹野地区の宮と牧の谷の部落と豊栄地区の矢畑の部落。放牧地の境界を巡って明治の終わり頃に争いがあったそうで、境界の目印に置いていた巨岩を双方の部落の力自慢が夜の闇に紛れて、自分の地区が有利なように動かしていた、ということです。