「華南(1999年5月)」

華南をめまぐるしく移動する


その4・大天然

  

翌朝は気持ち良く晴れわたった。今日も暑い一日になりそうだ。
早起きして海岸を散歩するはずだったのに、珍しいことに何故か寝坊をしてしまい、朝食をすませるともう歩くのは嫌になってしまっていた(その代わり、プールで泳いだ)。
昨日打ち合わせをしたクルマが来ていると連絡が入った。ロビーに降りていくとかなり年期が入ったホンダのシビック。一応4ドアのセダン。シルバー。間違いなく20万キロは走っている(?)。運転手とがっちり握手。ホテルの人から目的地に着いたら彼に料金を渡してやってくれと耳打ちされる。
車内は綺麗に掃除&整備されていた。さぁ、出発だ。

北海から広東省の湛江(チャンチャン)までは、直線距離で150km足らず。ただ湾をまたぐので、実質は200km強ほどかな。日本の高速道路なら、のんびり走っても3時間程度の距離。でも中国だしなぁ...。
ところが、出発してすぐ、まだ北海の街から出ないうちにクルマは止まる。道端から女性がにっこり笑って出てきて助手席に乗り込んでくる(ボクは後部座席に乗っていた)。ははぁーん、運転手の恋人だな。
彼女は、後ろを振り向いてサンドウィッチと水が入ったペットボトルを差し出してくれる。準備がいいね。
前の二人は英語も不自由。後ろのボクは中国語も広東語も不自由。身振り手振りの会話も出来ないし、そのうち三人ともコミュニケーションを取る努力もしなくなる。
確か何かカセットを鳴らし始めたけど、誰の歌だったのか思い出せない。前の二人は会話が弾んでいる。ボクはその声を聞きながら、ぼんやりと流れ去る風景を眺める。ただ、不愉快とかそんなことはなかった。
途中、幾つかのパートに別れた有料道路を走る。中国にももちろん料金所はあるんだけど、この運転手、何か写真入の身分証明書のようなカードを係員に見せ敬礼する。そしてお金も払わずにどんどんゲートを通過していく。そのカードをチラッと見ると、この男、どうやら警察官のようだ。
やがて、右手に海が広がる。そして有料道路が終わり、舗装されているとも未舗装の地道とも見分けがつかない一般道を走る。この道、はっきり言って、クルマの数は多くない(いや、ほとんど走っていない)。車内から後ろを振り返るともうもうと土埃が舞っている。
ボクを載せているからなのかどうかはわからないけれど、中国人らしからぬ安全運転。途中、畑の真中で突如として渋滞。何かアクシデントが起こっているようで、迂回を指示している。あぜ道に毛が生えたような道を迂回。これでずいぶん時間を喰った。

火車(列車)や汽車(バス)とは高さが違うので、クルマの窓から見える風景は新鮮だ。それに、ここまで田舎に来たのは初めて。途中で幾つもの集落や町を通過する。そのどれもが小さなものだ。
遅いながらも着実に距離を稼いでいるはずなのに、行けども行けども同じような風景が流れていくだけ。原生林と畑と人家・集落、これが交互に現れては去って行く(ほとんどが原生林なんだけど)。集落にはさほど大きくないバスが停まっていることが多い。屋根にまで荷物を満載している。これらのうちのどれかにボクは載るはずだったのになぁ。ちょっと贅沢だったかな?
眠ってしまいそうなもんだけど、揺れが激しくて眠るどころではない。気を許したら、途端に天井に頭をぶつけてしまう。2時間ほど過ぎたあたりでクルマを止め小休止。

やがて広東省に入る、道が急に立派になったのがわかる。小高い丘を越えるといきなり湛江の街に入った。北海や南寧では見かけなかった新しくて巨大なビルが何棟か建っている。運転手はこまめに止まり、歩いている人に道を尋ね始める。
高層ビルがあったのは新界だったようで、旧市街を抜け、駅前を通り過ぎ、しばらく行くと海浜公園。その先にホテルがあった。
時間にして5時間強。ボクは運転もせずにぼんやり乗ってただけなのにずいぶん疲れてしまった。
運転手がトランクから荷物を降ろしてくれる。ボクの荷物は赤茶けた土ぼこりにまみれている。再び握手。
「ありがとう。お疲れ様でした。(これからデート楽しんでね!)」

“湛江海濱賓館”ここは今まで訪れたどのホテルよりもクラシカルなホテル。広大な敷地を誇り、公園のような敷地に建物が点在している。どこかの大学へ紛れ込んだような気さえする。
薄暗くて、ひんやりとしたロビーには人影は無い。天井がやたらと高い。まるで、廃墟のような雰囲気が漂う。やがて、レセプションの奥から女の子が出てきた。チェックインを済ませ、キーを受け取り部屋へ向かう(部屋がこの建物の中で良かった!)。
部屋へ入ると背の高い湯飲みに熱いお茶が入っていた。おしぼりもある。きっとここは各階に服務員がいるんだな。窓からは海が見える。
取り急ぎシャワーを使い、さっぱりする。
備え付けの絵葉書がいい。ここまで古い印刷のものをそのまま使っているなんて! さっそく、一枚書いた。しまったなぁ、一枚は手許に残しておけばよかった。

落ち着いたところで、ロビーに向かう。二、三相談したいことがあった。ロビーにはさっきの女の子とさっきはいなかった別の女の子、そしてベルボーイがいた。
まず、明日の飛行機。これは簡単にケリが付いた。夕方までには準備出来るそうだ。それどころか「明日の朝、直接空港へ行っても乗れるよ」って。ここまで内心、満席で予約が入らないのじゃないかとヒヤヒヤしていたのに!損した!
このホテルから空港へ行くタクシーも手配してくれるそうだ。朝が早いので朝食は無理だな。
もう一つは、今日の晩御飯。筆談と身振り手振りを加えて「こんな店へ行きたい!」と訴える。それはどんなお店かって言うと、水槽や生簀があり、たらいや洗面器が並んでいて、その中には魚やイカ、エビやシャコが泳いでいる。それらを指差して選んで、好きな料理にして出してもらう、そんなお店だ。結果、それはとてもスムーズに伝わったようで、教えてもらったお店は大満足! この身振り手振りやメモ紙にエビの絵を描くのはホテルの人に受けて、楽しかった。言葉が不自由でも、何とかなるもんだ。

出かけるときにホテルの女の子に書いてもらったメモを見せるまでもなく、女の子とベルボーイが玄関まで出てきてくれ、タクシーの運転手に説明してくれる。
時間はまだ6時前だけど、日本の感覚なら3時か4時ごろの陽の高さ。ほんのわずかな時間で到着したお店は「大天然(ダーティアンラン)」。お店と言うより、道路脇にあるテント村のような感じ(いや、そのままテント村か)。
入り口には巨大な生簀が何個も並び、両脇にはガラスの水槽、そしてシャコやエビなどが入れられた無数のたらい...。まさにボクが説明したとおりのお店。ボクが思っていたよりもうんと大きいけどね。
その内部は100名は軽く入れるほどの広さ。そのほとんどが円卓で20ほど、壁際には仕切りがついた個室のような円卓、そして四人用のテーブルと二人用のテーブルも隅のほうにひっそりとある。もう出来上がって賑やかなテーブルもあるけれど、まだ時間が少し早いせいか1/3も埋まっていない。
こんな店にありがちな肩章をぶら下げたお姉さんが席まで案内してくれる。そして、別のこのテーブルを担当してくれる女性と生簀を見に行く。シャコとエビは絶対に頼むとして、後は何にしようか。相談して決めたいところだけど、残念ながら相談のしようがない、惜しいなぁ。この女性もあんまり熱心ではないのかあれこれ勧めるわけでもなく、割と事務的というかあっさりしている。
結局、アサリとマテ貝、そして野菜。いつもとほとんど変わらない無難なオーダーにしてしまう。席に戻り、料理方法を決めるのだが、これも言葉の壁があり、これは「おまかせ」にする。
すると、ビール瓶のようなコスチュームを着た若い女性がやって来る、何をするのかと唖然としていたら、この人はビールの宣伝販売をしている方だった。店の中を見回すと、バドワイザー、サンミゲル、カールスバーグのお姉さんがいる。ここは大人しくこのお姉さんのオススメ、サンミゲルをお願いすることにした。
ビールを待っている間に、どんどんお客さんが入ってきてかなりのテーブルが埋まってきた。なかなか流行っているお店なんだなぁ。
ゴム長に、ゴムの前掛けをしたお兄ちゃんが、さっきボクが選んだエビなどをザルに入れて持ってくる「確認しろ」って意味のようだ。ボクが頼んだものはあんまり大きくなくて動きもないけれど、あっちのテーブル、こっちの個室では、大きな魚がタモの中で跳ね回っている。こりゃ一種のパフォーマンスやねんな。
シャコはニンニクとチリソースで甘辛く炒めたもの。エビは塩味で白蒸ししたものを辛いソースにつけて食べる(もちろんそのままでも美味しい)。マテ貝はオイスターソースで野菜と一緒に炒めたもの。アサリはあっさり味のスープ仕立て。野菜はクレソンとチンゲンサイとセロリを足して割ったような野菜を蒸し茹でにしてオイスターソースが添えてある。
いっぺんに全部出てきたら食べきれそうにないけど、上に書いた順に出てきた。シャコやエビは上品にお箸やスプーンでは食べられない。指と口の周りを油だらけにしてむしゃぶり喰らう。その合間にビールをグビっと。いやぁ、タマラナイ!
マテ貝が届いたときに白いご飯をお願いする。空になったジョッキを目ざとく見つけたお姉さんが近づいて来る、今度はカールスバーグ。素直にお代わりをお願いする。
飲み食いに没頭していたが、ふと目を上げると店内は満席になっている。入り口では待っているらしい集団がいるのには驚いた。それにしても、このお店で一人で食べているのはボク一人なのは、ちと淋しい。でもボクは食べるのに忙しく、この瞬間まで淋しさなんていっこも感じなかったんだけどね。

お腹が一杯になって「もう何も入らへん!」という状態。
お店(テント?)を出たら、まだ外は明るかった。こっちは充分出来上がっているにになぁ。運良く客を載せてきたタクシーが到着。ホテルまでやってもらう。
気持ちのいい夕方だ。ホテルの門でおろして貰い、そこから海岸で夕涼み。何も泥酔している訳ではなく、ほろ酔い加減だけに、海風に吹かれるのは気持ちいい。一体は文字通り海浜公園になっていて、砂浜に松。なんだか日本のようだけど、海を隔てた対面にはどっかーんと埋め立て工事中で風情はない(これも日本と一緒だね)。
それでも、ベンチや砂浜には若いグループやアベックがごろごろ散策していて、中には「熱烈恋愛中」のお方も見受けられる。
男性はセーラー服姿の水兵さんが多い。そのセーラー服の色が明るい濃紺で誰もが一様によれよれでくたびれている。もうちょっとパリッと出来ないのかなぁ。で、やたらと小さい方が多い(後で調べると湛江は潜水艦の基地があるそうです、どうりでなぁ)。

もっと歩いていたかったんだけど、ちょっと事情がありホテルへ戻る。
レセプションで航空券を受け取る。部屋に戻ってもしかたないので、別館にあるロビーまで出る。薄暗い中、背後でがさがさっと音がして「ビク」っとしたら、なんと大きなリスが木を登って行った。
これまた古風なロビーに、スーベニアショップ。「こんなおみやげ誰が買うんや」って品揃え(しまったなぁ、今から思えば、何か一つ買っておけば良かった)。
古めかしいソファに身を沈めてビールをお願いする。開け放たれた大きな窓からは、他の建物のパーティ会場から、音楽やマイクでがなりたてる声、そして晴れやかな嬌声が流れてくる。

さて、今夜はもう寝るとするか...。

つづく