「華南(1999年5月)」

華南をめまぐるしく移動する


その3・北海へ

  

翌日は南寧を離れて北海(ベイハイ)まで。直線距離にして約150kmを火車(列車)で4時間かけて移動する(なんちゅうスピードや)。
今までの経験から、火車の駅は基本的に「難民の巣窟」のような雰囲気だと思っていたけれど、南寧の駅はそうでもなかった。重たい荷物をえっちらおっちら担いで階段を上がり、切符売り場へ。上海駅の切符売り場は長蛇の列で、殺伐とした雰囲気が濃く深く垂れ込めているが、ここはさすが南国だからか、それとも運行本数が少ない田舎だからか、南向きのロビーには陽が差し込み、明るく、開放的。
切符売り場の一番端がボクが乗りたい列車の「軟臥」の専用窓口。誰も並んでいない。やすやすと購入出来た(なんか、拍子抜けするなぁ)。それも、端末から吐き出される自動発券ではなく、何やら紙を切ってそれを貼り付けてくれる「手動」発券。う〜む。
この列車は南寧から北海に向かい、そのまま折り返しで四川省の成都まで向かう。だからこんな短い距離を走る列車だけど軟臥の車両も連結されている(他に硬臥と硬座、食堂車)。ちょっと贅沢かなとも思ったけど、これもいい経験になるはずだ。

発車予定時刻の1時間も前から改札が始まる。ただ待っているだけだから、待合室にいても仕方ないので車両に行ってみる。
ふつう、駅では一般の待合室と軟臥・軟座用の待合室が別になっている(駅によっては改札口も別)。この待合室に入るときに切符を見せなければならない(一見して外国人とわかる場合は切符を要求されないことが多い)。そして、待合室に入るときに手荷物をX線検査機に通す(これは緊張度によって異なる、ボクは一度もこのチェックを要求されたことはない)。改札口でもう一度切符のチェックがある。
改札をくぐるり、構内の巨大な弧線橋を人波に続いて渡るとそのホームに列車が止まっていた。20両ほどの編成のようだ。
重い荷物を持ってよたよたと指定された車両へ行くと、その車両の入口に専属の車掌さんがいて、彼女(車掌さんは女性のことが多い)に切符をチェックしてもらう(決して荷物の上げ下ろしを手伝ってはくれない)。
軟臥は一つのコンパートメント(個室)に二段ベッドが向かい合わせに二つ入っている。ボクの切符は下段。ふかふかのマットにふかふかの布団、枕、そして毛布。どれもが清潔なのにちょっと驚いた。さすが軟臥。車両の外観も内装も使い込まれていて、決して綺麗だとは言わないが、どこも美しい(中国らしくない)。
発車までの時間、ホームをぶらぶらしてみる。驚いたことに、どの車両も満員。この日は土曜日だったせいか、中高生ほどのグループで一杯! みんな北海にキャンプか海水浴に行くようだ。「もう、嬉しくって楽しくって仕方ない!」って感じが全身からあふれ出ている。目がきらきら輝いている。羨ましい若さが車両中に発散されている。
ホームにはワゴン(リヤカー?)を使った物売りや首から箱をつるした物売りが、弁当やカップ麺、飲み物などさまざまなものを満載して打っている。不思議なことに、そこそこ人だかりが出来てそこそこ売れている。
出発間際までこのコンパートメントには誰も入ってこないので、貸切かと思ったら、若夫婦と赤ちゃんが乗り込んで来た。

結論から言うと、軟臥の寝心地は良かった。
列車が動き出してすぐに、車掌がやってきて切符と交換にアルミで出来た寝台番号が刻印されているカード(?)をくれる。降りる際にこのカードと切符を再び交換してくれるのだ。
彼女は時折巨大な魔法瓶を持って現れ、希望すればお湯を注いでくれる。ボクはお湯を注いでもらうコップもカップ麺も持っていないのが残念だ。
最初は、子供のために折り紙を折ったりして、コミュニケーションを図っていたのだが、それにも飽き(若夫婦は英語が全く駄目だった)、いつまでたってもの何の変化も見せない車窓風景を追うのにも飽き、手持ちの文庫のページを繰るのにも飽き、とうとうぐっすりと眠入ってしまった。
予想通り南寧の町並みは瞬く間に切れ、あとは南国ムード一杯の原生林がひたすら続き、時折田んぼだか畑だかが現れ、そこで水牛が遊んでいる。
どう見てもスピードは時速50kmも出ていない。のんびりと列車は進んでいく。あれほど賑やかだった硬座の車両と違い空調が効いたこのコンパートメントには、レールの継ぎ目を知らせる単調な音が響くばかり。これじゃぁ、眠くなるのも当然だ。寝転んで窓から空を見上げると、穏やかな晴天。対面の上段では若夫婦の奥さんもうとうとしているようだった...。

「どうせ狭い街だから」と思って、ホテルには迎えを頼んでいなかった。ところがどっこい、予想外に広い街。しかも、駅は街の中心からはずいぶん離れていて、客引きをするタクシーの運ちゃんはいるが、バスの姿は無い。
仕方ないから、まだ若い運ちゃんのタクシー(スズキの軽FRONTEをモデルにした中国生産車)に乗ることにする。この兄ちゃんが熱心に誘ってくれたから。車内で一生懸命話し掛けてくれるけど、さっぱりわからない。どうやら、普通話ではなく、広東語なのか地元の方言なのか...。
チェックインを済ませ、ホテルの人と相談する。まず、明日の広東省の湛江まで移動する手段の確保。そして湛江から香港への航空券の手配。
「バスで行きたい」と伝えると、とんでもないと言う「汚いし、危ないし、遅い。ホテルのクルマを出すから、それに乗らないか?」 ここで価格交渉が始まった。どうも、話しがかみ合わない。高すぎる! すると、どこかに電話を掛け、彼女が交渉している。電話を終え、こちらに振り向くと「クルマのランクは下がるけど1,000元でどうか?」ホテルのクルマはベンツかアウディだった、今度はニッサン(セドリック)かトヨタ(クラウン)だと言う。それでも、ちょっと...。結局、500元でまとまった(まるめ込まれた?)。飛行機並みの値段だけど仕方ない。
もう一つの湛江から香港への航空券、やはりここでも発券出来なかった。この中国南方航空の便はチャーター便で限られたエージェントしか予約発券出来ないそうだ。そうなのか。

南寧では割とチープに慎ましく過ごしていたが、いくら中国とは言え「リゾート」に来たからには贅沢に...、って訳でもないけれど、水着に着替えプールサイドに下りて木陰で寝転び冷えたビールを飲みながらウトウト...。どうもこの日は寝てばっかりだ(いつもか?)。
すると、どこからか子供の声が。しかも、その声は日本語をしゃべっているような気がする。気がするどころか、間違いなく日本語で、それも大阪弁のような...。寝ぼけてんのかな? ほんの数日、日本語の世界から離れただけなのに耳は激しくピクピク反応する。
声の主は二組の日本人家族。よくよく話しをしてみたら、遼寧省の大連にある家電メーカーの合弁企業に勤務していて、人づてに「いい」と聞いたここ北海で休暇を楽しんでいるそうだ。ずうずうしく夕食を共にする約束をして、いったん別れる。

北海の街についてほとんど何も勉強していない。ただ、国家重点旅遊地域に指定されていることしか知らなかった。ホテルで地図をもらい、行きしなのタクシーの車内で目星を付けておいた旧市街を歩いてみる。
昔はどこか外国の租借地だったのか、それとも貿易港として独自に発展していたのか、どこか西洋風でクラシカルな雰囲気が濃厚に漂う、ちょっとお洒落な町並みが続く。もちろん、今では当時の面影が残っているだけなんだけど。
それは、通りに面した町並みの軒や二階部分に苔むしながら残っている石造りの装飾部分からわかる。今ではペンキが塗られたり、セメントが塗りこめられたり、無粋なTVアンテナが突き出していたりしているんだけど、こんなうら寂れた街角にもかつては栄華を誇っていた時代があったのかなぁ。
後日調べると北海はかつて「海のシルクロード」の中継基地として栄え、ベトナムやフィリピンとの貿易中継地としても発展していたそうだ。
どんどん暮れていく夕闇の中、そんな古い路地をあてもなく歩く。

やがて、路地は海岸に出る。延々と続く防波堤には涼を求める人々で鈴なり。
雰囲気は北海行きの硬座車の車内のようだ。中にはあまり綺麗には見えない海に服を着たまま飛び込む若者もいて、笑いと嬌声がはじけている。あの列車に乗っていた若者たちはどこに行ったのだろう。キャンプ、民宿、それとも若さにまかせた野宿?

薄暗い街灯を頼りにホテルへの道を急ぐ。約束をした夕食の時間までもうそんなにない。

つづく