「E.T.」

09/May/2002

  

お久しぶりでございます、君蔵です。

20年前に公開されたという事は、当時僕は5歳だった訳という事(当たり前か)。その頃のかすかな記憶が蘇った、そんな一時でした。

そうそう、考えてみれば僕が初めて劇場で観た映画というのがおそらくこの「E.T.」だったと記憶しています。
5歳だから小学校に入った頃か、あれはたしか僕と兄と2人母親に連れられてどこかに遊びに行った時でした。どこに行ってたのかまったくもって憶えてませんが、その後映画を観たことからして、京都は河原町あたりではあるとは思います。
母親の「映画でも観ようか」という言葉に、劇場の前まで行くと寅さんの「男はつらよ」と「E.T.」の大きな看板の絵が掲げてあったのをかすかに憶えてま す。
母親は「どっちがいい?」と聞いてきて、僕は「E.T.がいい」と応えました。 「E.T.なんて外国語やん、寅さんの方が日本語やしええで」と言った母親の言葉も聞かず、結局僕の選択で家族3人「E.T.」を観ることになりました。
今にして思えば、母親にしてみれば当然寅さんの方が面白く楽しめたのでしょうが、そんな事当時の僕は知るよしもありません。
しかし何故「E.T.」を選んだのか、当時僕はまだまだ子供で漢字など知るよしもなく字幕を読めるわけなかったのですが、「E.T.」という怪物みたいなのが登場する方を観たがるのは子供心というものでしょう。

しかも当時は我が家にはテレビがなかったのです。モノクロのホントに小さいテレビを親父の職場からもらってきたのがたしか小学校2年くらいの時、家にカラーテレビが来たのは小学校4年の時でした。
テレビをほとんど見たことがなかったし、ましてや映画などは観た事もありません。当時としてはストーリなど観てなくてただ映像を観てるだけだったのでしょう。案の定内容の方はまったくもって憶えておりませんでした。
一番前の座席でただボーッと大きなスクリーンを眺めていたのを憶えております。そしてふと後を振りかえると、観客は超満員だったのもかすかな記憶です。

前置きがちょっと長くなりましたがさてこの「E.T.」、梅田は三番街で夕方の最終回。観客の入りは150名を超えるくらいでしょうか、客層は若い人が大半でした。しかし映画を観る為に並ぶのも映画のうちですね、この時間って割と好きです。

「E.T.」はこれまでテレビで何度となく放映されていましたが一度と観たことなく、まともに観るのは今回が初めなわけです。
映画の感想はやっぱり20年前の映画かと思うところ、でもそんな気にする事もなくそれなりには楽しめました。
しかし前半の少年と「E.T.」の交流はわりと面白かったのに、後半に入って、れまで母親以外の大人の顔は写しだされなかったのに、どかどかと大人が登場してバタバタになってから一気に興ざめましたね。
また映画が説明不足で、「E.T.」が何者なのか、なぜ地球に来たのか(まあ、この辺は想像できるのでまだいいとして)。なぜ少年と「E.T.」は脳波が同じ波長になって、同ものを感じてしまうのかや、どうして「E.T.」は病気になって死んだのか、そしてその後生きかえったのか? あのどかどかと乗り込んできた大人たちは何がしたかったのか? その上「E.T.」を10年待ってたとういあのおっさんは何者?(「未知との遭遇」に関係あるのかな? この映画も観てないけど) などなど「?」な部分が一杯でした。
でも20年前という歳月を考えたら、素晴らしい映画だったのでしょう。
また話に感動はできなかったのですが、少年が「E.T.」を自転車のカゴに乗せて空を飛ぶあの有名なシーン、この時の音響の多きさにびっくりさせられ思わず感動してウルルときてしまいました。そのシーンを観られただけで今回は充分ですね。

次は何を観ましょうか、テアトルのレイトショーでやってる「カラーオブライフ」か「スパイダーマン」「とあさま山荘事件」かな。「アザーズ」もなかなか面白いとの評判を聞きます。それではサイナラ。