恋愛の目的

だらしなさも、恋愛



  

「2006大阪韓国映画週間」という催しの開催が突如告知され、12/9から一週間日替わりで関西未公開の作品を上映してくださるらしい。う〜、今までこんな機会はほとんどなかったので、とっても嬉しい。上映作品のラインナップを見てみると、ボクも未見の作品も3本上映されるみたい。しめしめ。忙しい時期だけど頑張って観に行こう! 会場は動物園前のシネフェスタ。どうやら07年の3月末での閉館が本決まりのようなので、それはそれで淋しいのだけど...。
初日のこの日は、押すな押すなの大盛況で、ひょっとしたら立見の方もいらっしゃったかもしれません。それにしても、もう少し大きい(座席数の多い)スクリーンを使ってくれていれば...。

何と表現していいのか、かなり難しい。
一筋縄で行かないし、ボケっとスクリーンを眺めているだけではお話しに付いて行けなくなる。
下世話なお話しなんだけれど、考えてみたら“男女の仲”とか“恋愛”なんて、下世話なもので、美しく崇高なだけではない。世の中にはいろんなカタチをした恋愛があって、恋愛をするために恋愛をするというのもありなんだな。そもそも、最初の動機は不純で下心マル見えでも全く構わないのかもしれない。その結果、それが恋愛として成就するのか、はたまた、未遂に終わるのか。それは各々の主観に任されているし、恋の駆け引きもそれはまた楽しいもの(なのかもしれない)。
ただ、この映画で描かれる“恋愛”とは、精神的なものよりも、肉体的な関係に重きが置かれ、恋愛にはまず肉体関係ありきという姿勢で表現される。そういう形而下の話題やだらしなさがお好きではない方には若干の嫌悪感を抱かれる方もいらっしゃるかもしれない。
そもそも、スタートというか動機形成において、かなりゲーム性が強い(それだけ?)だもんなぁ...。

パクヘイル。
「グエムル」で見せた、少しだらしないけれど、姪っ子のためにどんどん頑張ってしまう青年よりも、一本ねじがゆるみかけていて、どこかズルそうで打算的な男が似合う(「嫉妬はわが心」の影響かな?)ような気がする。そういう意味では、ここでのユリムの役はぴったりはまっている。
最初は計算づくで、ちょっかいを出すだけだったし、遊びのつもりだった。婚約者の存在もなんだかうっとうしくなって、降って湧いて来たような新しい恋の対象に憧れではなく、身近なときめきを感じたんだろう。

カンヘジョン。
この人は七変化。クルクル変わる表情は、あどけない少女の面影も残しながら、まるで大人の女性そのものだったりする。かよわくて折れてしまいそうな涙顔に、開き直って不貞腐れた真顔まで、女っていろんな顔が必要なんだ...。

人が無数に巣食う大都会。ここにはいろんなカタチの恋があり、愛がある。
それはそれでいいのじゃないかな。
今のように閉塞感が漂う環境で、息をするのが精一杯に生きているボクにとって、ビクビクしながら生きているのなら、動機はどうであれ、全てを投げ打ってもいいような“恋愛”をしてみたいような気がする。きっと、ボクのような臆病者にはムリだろうけど...。
だから、ある意味、自分がとってもじゃないけど出来そうにないことを、善悪はともかく行動してしまうユリムに、ちびっとだけ憧れてしまう姑息な自分もいるわけだ。

それにしても、韓国では高校の教育実習は期間が長そうで、遠足(修学旅行?)にも一緒に行くんだなぁ。
学校の行事が何とも興味深かった。持ち物検査で、荷物をその場に置いて、生徒たちがずるずると後へ下がっていくのには驚いた。没収したお酒を、教師たちが夜の宴会で空けてしまうのも、なるほどなぁ...。

次回の上映や劇場での公開は、きっとないと思うけど、チャンスがあればご覧になってもいいかもしれません。ボクは結構好きです。
今のところ「ワイキキ・ブラザーズ」に並ぶパクヘイルの代表作と言えるのではないでしょうか(異論もおありでしょうが)。

おしまい