愛さずにいられない |
上海のアンバランスさは... |
妙な組合せ。
香港と台湾の俳優を使い、舞台を上海に設定し普通話のドラマを撮る。観ていて不思議な気がする。それはともかく、普通の神経をしている人にはちょっと理解し難いお話しが展開される。 「ウォ・アイ・ニー」「深海 Blue Cha-Cha」など、ある意味“男性依存症”の女性を描いていた中華圏の作品が続いていた中では、異色の自立型(奔放型?)のお話しが描かれる。いやいや、チャンツィーの「ジャスミンの花開く」の一代記版と言えなくもないのかな?
上海。
どうだろう、ボクにはこの映画で伝えたいエニーの気持ち。残念ながらあまり理解出来なかったような気がする。ここで描かれている世界は、あくまでもエニーの視線から見た、女からの世界のように思えたからかな。それとも、ボク自身が旧守的な発想しか受け入れられない神経の持ち主だからなのかもしれない。
結局、阿華はエニーを選ばない。その結論で物語りが終らないところが、実はこのお話しのミソであったのかもしれない。そして、エニーの“自立した女”こそが、このお話しの本質であり、現在の中国(上海?)で理想とされる姿なのかもしれないな。
テーマそのものは、ボクの意には沿わないものの、深く考えず、さらっと観るのであれば、現在の上海が抱える妙なアンバランスさ(歪み?)が随所に背景として描かれていて、それはそれで、なかなか興味深いと思います。 再見! |