胡同愛歌

バースディ・ケーキの哀しさは...



  

この映画のタイトルは「胡同愛歌」だけど、本当は「胡同“哀”歌」ではないか。そんなことをふと思ってしまうほど、どうしようもなく哀しいお話しなのだ。ちなみに原題は「看車人的七月」で仮の邦題は「父さんの長い七月」だったようです。
現代の中国・北京。胡同(フートン)とは、北京に今も一部残る古い様式で建てられた住宅のことで、下町の面影を色濃く残す建築物。北京の人たちにとっては、建物そのものはもちろんのこと、“胡同”という文字や言葉の響きでさえ郷愁を呼び起こすノスタルジックなものなのではないでしょうか。
そんな下町の一角で繰り広げられるかなり悲惨なストーリー。もちろん笑いあり涙ありなんだけど、どうも救いがないのよね、このお話しには...。結局、どうなんんだろう、現代の北京が(いや、中国全体が?)内包える大いなる矛盾を表現しているのだろうか?
ある意味、映画祭で上映されるのにふさわしく、劇場公開しても興行的にはかなり苦しいと思う。スタアは出ていない(しかし、演技は間違いなく上手い!)し、物語りもムチャクチャ地味だしね。

離婚してリストラされた親父。中学に通う一人息子。そして、この親父が再婚相手に考えている花屋を営む女性、彼女の夫。この四人を描くことによって、北京で生活することの難しさや、くだらなさをかなりリアルに表現している。
都市になればなるほど、そこで生き抜くためにはお金の力も大事だけれど、ある意味、暴力や腕力もかなり必要なんだ。ものの道理や善悪だけではないんだな。

お話しがスタートするのは、高架道路の脇にある屋台で、親子二人が麺をすすっているところ。息子は学校からの帰りなんだろうか、親父はいまから夜勤に出るところ。思い起こせば、この冒頭のカットもかなり意味深なのだ。
象徴的なシーンなら、走り去るバスを追いかけて道路を疾走する少年の姿もそうだ。バスは何を表しているのか、少年は一体何を何故追いかけているのか。そして、本当に走りやすい自転車で、その道は安全な道路なんだろうか?
ラストも何とも云えない。少年は何を思いながら、父親が従事する作業を見つめていたのだろう?

今まで日本で紹介されてきた大陸の下町ものって、ほのぼの人情系ばかりだったけど、これは趣向が変わってちょっと物悲しく切ないお話しです。
現代の中国に興味をお持ちの方はご覧になられてもいいかもしれません。
主人公の杜紅軍(トウ・ホンジン)を演じる範偉(ファン・ウェイ)、顔立ちといい体形といいどこかエリック・ツァンを彷彿とさせますね。

おしまい。