柔道竜虎房

この不思議な疎外感は...



  

一番の敗因は、すっと映画の世界に入っていけなかったことだと思う。
「なんで?」とか「どうして?」とか考えていたら、この香港版柔道一直線にはついて行けない。ただただ、映画の中に身を任せて、流れるままに映画の世界に身を浸していないとあかんねんなぁ...(きっと)。
しかし、この映画の世界にすんなり入るこめる人って一体...。

間違いなく一番の収穫は、蔡一智(カルバン・チョイ)。映画が終わって、人に教えてもらうまで全く気が付かなかった。
「君は檜垣、ボクは姿三四郎」と口癖のように繰り返す。コーラが入ったコップをストローで息を吹き込む。そして、命の次に大事なのは入門者を募集するチラシなのだ。

物語りとしては、一本も二本もズレている。
だいたい、主人公がアーロンではなく、ルイスクーだってことに、上映時間が半分ほど過ぎてから気が付いた(!)。
調子がいいのか良くないのか、それすらよくわからない師範に、ゲーセンが大好きな高利貸しの親分(?)をしているかつての柔道愛好家、何故かニヒルでかっこいいレオンライカーファイ...。とにかく、謎が謎を呼び、いったいどうなっているのかどんどん混乱していく。
それに環をかけて混沌の世界へ突き進むのが、歌手志望のシウモン(チェリーイン)の存在。しかし、彼女のキップの良さには驚くほかはないんだけど。おまけに単なる柔道バカだと認識していたアーロンがいきなりサックスを吹き出したにも驚いた!
ボクは何を信じてこのお話しを観続ければいいのだろう?

で、結局のところ、最も大切なのは、ボクが「柔道一直線」は知っていても、黒澤明版の「姿三四郎」をちっとも知らないことだと気が付いた。
三四郎を勝野洋、マドンナを竹下景子、檜垣には沖雅也、そして師匠に露口茂というTVドラマでを見た記憶はあるし、それをきっかけにして原作の同名小説(富田常雄)を読んだ記憶もあるねんけど...。どんなお話であったのかは全く記憶にない。
冒頭とエンディング。ススキの原に見立てた埋立地に拡がる草原での決闘シーン。これは絶対に原典にも登場するに違いない。でも、ボクはさっぱり...。と同時になにやら聞き取りにくい日本語の演歌がバックに流れる...。これって一体...。

とにかく、さっぱりわけが判らないままに、一気に映画は走って行き、そして終わる。
あぁ、そうですか。
なんだか、字幕が付かない映画を現地で鑑賞しているような、妙な錯覚を抱きながらナナゲイを後にしました。すなわち、ボク以外のみんなは面白さがわかっているのに、ボクだけそれがわからないとう疎外感。このナナゲイでも、ボク以外の皆さんがわかっていたのではなく、作り手たちからそんな無言のメッセージがスクリーンから発散されているのに、こっちは、ただただ口をあんぐりと空けているにしか過ぎないのだ...、悲しい。

イブニングショウのみ、しかもたったの一週だけの上映とあって、ナナゲイにしては驚きのほぼ満席。上映を待っている最中、見知ったお顔もちらほらと、韓流ブームに負けないぞ!

おしまい。