戦場のアリア

戦場に芽生えた友情



  

戦争とは何なのか、国家とは何か?
そして、人間とは何なのかな?

魂が激しく揺すぶられるのではない。しかし、ズンとお腹に響くお話しだった。
時は第一次大戦。ドイツとフランスの国境地帯にあるアルザス。この最前線で、ドイツ軍とフランス軍、そして連合国側のスコットランドの部隊が対峙していた。当時の最前線は、文字通りの陣取り合戦で、戦略上のポイントとなる農場を巡ってドイツと連合国側が塹壕を掘って向かい合っている。50mほどの緩衝地帯を挟んで向かいあっている。時折繰り返される肉弾戦に、その原野にはお互いの兵士の戦死者が転がっている。
戦っていても時は流れ、季節は変わる。もうすぐクリスマス。ドイツは兵士への慰問を兼ねて前線に数万本のクリスマス・ツリーを配布する。スコットランド部隊の陣営からはバグパイプの演奏でクリスマスソングが流れる。
それは果たしてどんなきっかけだったのか。緩衝地帯に三カ国の指揮官が集まり、一晩限りの休戦が協議され成立する。

国としては利害関係があり、お互いが反目する。その結果として武力が行使され、国家間で戦争が起ってしまう。しかし、戦争の最前線で、実際に闘うのはあくまでも個人。お互いに対峙する相手には、憎悪と嫌悪を覚えているが、それはそこで闘っている兵士個人が憎いのでもなんでもない。お互いに見ず知らずの個人同士が、国家権力に強制されお互いにパンチ(いや銃弾や爆弾)を交換している。
国家の象徴として認識していた相手の兵士。その兵士を個人として認識したとき。そこにも憎悪が生まれるのか。いや、決して生まれない。そこに生まれるのは、国家を超えた友情なのだ。

戦争とは悲惨なものだ。前線で闘う兵士にとっても、出征した兵士の帰りを待ちわびる家族にとっても。

このお話しは、美しい部分だけを描いているのではない。
結果として個人の弱さやエゴも語られれば、心情を吐露する本音に対して、建前で対応せざるを得ない姿もある。人間は個人と団体の間では大いなる矛盾を抱えているものなのだ。
こうして、後方の安全地帯から事の成り行きを傍観しているボクには理解し得ない力が働く。何が正しくて、何が間違っているのか。戦時下においては、常識が異なるものだ。だから、スコットランドの司教が新兵に対して、彼らを鼓舞する説教を行う姿を頭ごなしに否定は出来ない。ボクが否定するのは簡単だ。でも、否定するだけでは何も始まらない。

戦争とは何なのか。 そして、戦争をなくすための仕組みを地球規模で構築する、その努力をすることが大切なんだ。

ドイツの将校。印象に残るなと思ったらダニエル・ブリュールなんだ。映画が終わってから気が付きました。
観念的に難しいお話しでもなんででもありません。素直な気持ちでご覧になって、100年程前のクリスマスイブに起こった奇跡に想いを馳せるのも良し、戦争についてもう一度考えるのも良し。そして、表面上は平和な今の日本で生きていることに感謝するのもいいでしょう。
いいお話しですが、哀しいお話しでもあります。

おしまい。