グッドナイト&グッドラック

メディアとは何かを、もう一度考えよう!



  

渋くてかっこいいんだけど...、ボクの心にはもう一つ響かなかった。
難点は一体誰の視点で語られているのかが伝わってこなかったことだと思う。ドキュメンタリーなのかドラマなのか。もし、視点をしっかり据え付けることが出来ていたなら、もっと素晴らしい作品になっていたんじゃないかな。
もう一つあげれば、字幕が見にくかった(でも、それは仕方ないね)。

題材は、今の米国にとってはかなりタイムリー。
言いたいことを言う。圧力に屈しない。
政府の発表や息の掛かった報道を鵜呑みにするのは、極めて危険だ。

でも、待てよ、ボクはこの映画を観ながら考えたのは「メディアそのものが圧力になっていなかった」ということ。ボクは、メディアそのものやメディアが伝えることを丸ごと信じるほど“お人良し”ではない(単なるへそ曲がりかもしれないけど)。
日本においても、NHKも朝日新聞も、読売新聞の社主も...。日本のメディアは反省とか自浄作用などとは程遠い存在のように思えて仕方ない。
当時もきっとそうだったと思うけれど、メディアそのものが、肥大し、増長し、そして金儲けや保身に走り始めたら、それはもうメディアとは呼ぶに値しないのではないだろうか。圧力団体であり、娯楽産業の一つにしか過ぎなくなってしまう...。

それはともかく...。
第二次大戦後の米国議会が舞台。上院のマッカーシーを議長にして、レッドバージ(赤狩り)の公聴会が開かれた。告発された人々は、有無を言わさず公職を追われていた(らしい)。それは議員や公務員にとどまらず、あらゆる職場において...。
皆が「マッカーシーはやりすぎだ」と感じていたにもかかわらず、自らが追及されるのを恐れ、誰も彼の首に鈴を付けには行かない、行けない。
そして、立ち上がったのが...。

メディアの世界で生きている者にとって、最も生きがいを感じるのは、自らの意思で世論を形成することだろう。今そこの存在する大衆の意思ではなく、それを新しく(自分の誘導で)形成することほど手応えを感じることはない(だろうな、きっと)。
今の世の中の流れに一石を投じる。当たり前とされていることに疑問をぶつける。市井の人には難しいことでも、メディアの一員であれば簡単に出来てしまう。しかし、それが簡単であるがゆえに、メディアが背負うべき責任は軽くはないのだけど...。

いろいろと裏読みしたくなったり、突っ込んだりしたい箇所はあるけれど、巨象に立ち向かったCBSの報道チームのドキュメンタリーとしては良く出来ている。
メディアは常に権力と対決しなければならない、とは言わないけれど、少なくとも迎合しているだけでは、真実を伝えたり、世論を形成することは難しい。難しく捉える必要はないけれど、そんなことを一人でも多くの方に意識してもらえるだけでも、この映画は値打ちはあるかな(無いかもしれないけど)。

今では考えられないけど、TVのニュースアンカーがカメラの前で煙をくゆらせながらコメントを出すって凄いね。わずか60年前でこれだ。2050年ごろには「昔、嗜好品に“タバコ”っちゅうのがあって、煙を味わう習慣があったらしいで」ってことになっているのでしょうか?

決して派手な作品ではない、ある意味渋くて社会派の作品だけど、ちびっと浅いかな。そんな、映画だと思います。

Good Night and Good Luck !