天使の涙

強引に散髪屋の椅子に座らされたい



  

所用があり東京へ行くことになった。行く前の日に関東版の「ぴあ」を買い、どんな映画をしているのかチェックする。この作業はなかなか楽しくて、マーカーを使いながら行う。しかし、時間は限られているし、身体も一つしかない。映画以外にもしたことはある...。
今回は、悪友のもじゃメガネもなつさんも偶然に東京にいるようだし、異動になった白系ロシア人ももちろん東京にいる。う〜む、どのように時間を使うのか、実に悩ましい。

で、金曜の夜に出かけたのが大森。ここの駅前にあるキネカ大森で香港映画の「天使の涙」を観ましょう。今回が日本での最終上映だと予告されている。これは何もフィルムがなくなるのではなく、輸入する際に結ばれていた上映する権利が切れてしまうという意味らしい。これもひょっとしたら、後日再契約され日本での再上映が可能になるかもしれない。

はっきりとしたストーリーはない。なんか掴み所がない幻を追いかけているような気持ちになる。それでいながら、妙なところはリアリティがある。
とにかく良くも悪くもウォン・カーウァイとクリストファー・ドイルの映画なのだ。

なにしろ掴み所がないだけに紹介しようがない。
そこでつくづく思ったのは「この映画はウォン・カーウァイの世界にどっぷり肩まで漬かっていないと、面白くとも何ともない」ということだ。
この晩のボクはちょっと疲れていたせいもあって、足首くらいまでしか漬かれなかったので、正直言ってしんどい。
ボクは感覚的な作品よりも、物語りがしっかりしている作品の方がずっと好きだ。

映画の中で「好き」とか「愛している」とか「捨てないで」とか「死なないで」という言葉は一切出てこない。そんな直接的な呼びかけは似合わない。だけど、目で、態度で、姿でわかる。う〜ん、しかし若者たちは、香港という人口超密集都市にいながら、孤独の影が忍び寄り、どこか淋しそう。そして、不器用な方法で他人とのコンタクトの仕方を模索していたんだなぁ。

何か感動とか、物語りを求めて観る映画ではない。陰々と鬱々とした世界を垣間見て、そして我が身を振り返る。そんな作品なのかもしれない。
ただし、今観ても出演者の顔ぶれは極めて豪華。レオン・ライ、ミシェル・リー、カネシロタケシ、チャーリー・ヤン、カレン・モク。今、この面子を揃えて映画を撮ることはほとんど不可能かもしれません。しかし、ミッシェル・リーのハスキーボイスと容貌はセシリア・チャンかと思った。
カネシロくんが夜中に勝手に開けてしまうお店、レオン・ライが指令を受け取る小汚い廃屋の部屋。このどちらもいかにも香港らしいけど、今はどうなっているのかなぁ?
いや、それとも日本人の経営者(?)がビデオレターを録画する怪しい焼き鳥やは今でもあるのかな?

恐らく、ビデオもDVDも出ていると思いますので、興味がおありの方はご覧になっても損はないと思います。

おしまい。