1リットルの涙

今を生きることが大切



  

続いて京極弥生座で拝見したのは「1リットルの涙」。
ちょっと驚いたのは、お客さんがたったの3人にまで減ってしまったこと。う〜む、これはどういうことだろう?
予告編は何度も拝見していたけれど、OS劇場C・A・Pでのモーニング上映はついつい観逃してしまった。モーニング上映もちゃんと7日間しているんだけど、一応堅気の仕事に従事していると、実質は土日の二日間しか観るチャンスがないのがツライところです。

何と言っていいのか、言葉に詰まる。
もしも自分が同じ立場に置かれたら、どうなんだろう? そう考えると主人公の木藤亜也(大西麻恵)を、そして母・潮香(かとうかずこ)が何と素晴らしいのか。そう思わずにはおられない。
もう一つ、この映画を拝見して痛切に感じたのは、視線のクールさ。このようなお話しであれば、お涙頂戴的な演出でも不思議でも何でもないけれど、実にクール。ある意味“突き放して”いる。だから、余計にボクの心に突き刺さる。

今まで、何不自由なく健常者として生活をしていた少女。登校途中に変調を訴える。自覚症状はなかった。この変調を初期の段階で見逃さなかった家族は凄い。
「健常者」という言葉を使った瞬間から、その対極にある「障がい者」の存在は辛い。しかも、先天性ではなく、進行性。少しずつ今までの自分とは違う自分になっていく。まるで拷問にかけられているような...。
「脊髄小脳変性症」とは耳にしたことがない病気。

お涙頂戴的な盛り上がりは見せず、割と淡々と話しは進む。淡々とした事実の羅列。しかし、その事実そのものが、厳しすぎるほどの現実。
亜也も母親も思わなかったはずがない「どうして私が(娘が)」と。だけど、このお話しの素晴らしいところは、決して後ろ向きになったり、愚痴ったりしないところ。そんなことを百万回も千万回も思ったはずなのに...。現実を病気を受け止める勇気は凄い。
自分がどうなるのか、この病気が治るのか、聞きたいけど聞けない。そして、結婚できるのか。いや、いつまで生きられるのか。自分の身体なのに良くわからない。少なくとも、病気は良くなっていない、出来ることは病気を治すことではなく、進行を遅らせるだけだという事実。

単に観ているだけのボクも辛くなるのに、本人や家族の辛さは想像に以上だったはず...。
流した涙は1リットルだけでは済まなかっただろうなぁ...。

大きなドラマ仕立てにせず、小さなエピソードの積み立てにした手法には好感が持てました。
人間は強い生き物なんだな。でも、もう少し“弱さ”を見せても良かったのかもしれません。あまりにも辛すぎるんだもの。
涙をボロボロ流すような作品ではありませんが、心を強く打たれる映画であることは確かです。そして、日々何も感じずに生きている自分を少し恥じます。別に感謝をして生きろとは思いませんが、今をもっと大切にして生きていきたいなと思いました。
web-siteを検索してみると、今後も各地でホール上映会を行って行くようです。お近くのホールで上映がある際は、お時間を作って是非。
亜也ちゃんを演じた大西麻恵はなかなか良いです。

おしまい。