愛の神、エロス

艶演に 胸が波打つ



  

三人の監督が撮った連作「愛の神、エロス」。
大阪では梅田ガーデンシネマで上映されていたけれど、「あわわ」っと言っている間に終わってしまい、正直あきらめてた。そしたら、サンフレを応援しに広島へお邪魔することになり、調べると鷹野橋のサロンシネマで上映している(モーニング)。西宮を早く出発して上映時間に間に合わせましょう!
正直言って、他の二人の監督のパートはオマケみたいなもので、焦点はウォンカーウァイ監督の「若き仕立屋の恋」。

しかし、エロチックとはどんなものなんだろう。そんなことをつくづく考えてしまった。この「若き仕立屋の恋」にはヌードも出てこなければ、露骨な行為も(ほとんど)描写されていない。それなのに、充分エロチックなのだ。
台湾の男優チャンチェンと大陸の女優コンリー。登場するのはほぼこの二人。
言葉は普通話のようだったけれど、舞台は香港(のようだ)。

冒頭のシーンで、ボクの胸はドクドクと大きく波を打つ。
売れっ子の娼婦のフォア(コンリー)の元に縫いあがったばかりのドレスを届けに来たチャン(チャンチェン)。フォアはチャンの手を触り「この手は、女を知らない手だ」と断言する。そして「女を知らなければ、一人前の仕立屋にはなれない」とも言う。さらに、チャンにズボンを脱ぐように言いつけ、教える。

チャンはフォアによって鍛えられる。ただ、直接教えて貰ったのは、初めて出会ったあの一回きり。その後は、フォアに気に入ってもらえるようなドレスを縫い上げること、それだけに一心不乱に打ち込む。

やがて、風向きは変わる。いや、残酷な時の流れ。チャンにも、フォアにも等しく時は流れるのだ。
時の流れを経て、得るものと失うもの、そんなものを天秤にかけるのはナンセンスな話しかもしれないが、人生のピークを迎えていた者にとっては、失っていくものが多く、これから人生の上り坂に向かっている者にとっては得るものが多いのは、当然なことだろう。
でも、時の流れは皆に等しく訪れる。時間は多くのチャンスを伴って訪れ、多くの悲劇を残して去っていくものなんだ。

ストーリーそのものよりも、コンリーとチャンチェン。この二人の演技、表情に驚くことばかり。
最近のコンリーは、色気よりも生活力を全面に出した“逞しいお母さん”のような役回りばかりだったのに、彼女のどこにこんな色香が潜んでいたのだろう、それも野暮ったくなく、都会的で垢抜けた雰囲気を漂わせて。俳優としての幅の広さを感じる。いや、さすがだ。
チャンチェン。この人もいつの間にか若さだけではなく、表情で芝居が出来る役者に育っているではないか。驚いた。コンリーに伍して、対等に渡り合えるとは思ってもいなかった。

観ても観なくてもいいと思っていたけれど、それは併映の他の二作の話しで、この「若き仕立屋の恋」は中華圏の映画が好きな人にとっては必見の作品のような気がします。
ウォンカーウァイという監督、ひょっとしたら長編よりも短い作品の方が性に合っているのではないか? そんな気がしました。

おしまい。