安陽の赤ちゃん

最後の謎は深まるばかり...



  

最近は、韓流に押されて、大陸の映画もなかなかしてくれないなと思って悲しんでいた。すると「我が家の犬は世界一」をナナゲイで拝見していたら、この「安陽の赤ちゃん」という聞いたことも無い作品を上映するようだ。全くのノーマークだったし、俳優さんも知らない人ばかり。監督はチェンカイコーのもとで修行を積んだ方だそうです。今回を観逃すともうチャンスはないかもしれないので、男性が1,000円になる月曜に出かけることにしました。

なんとも不思議なお話しが描かれている。
そこにあるのは、河南省の地方都市・安陽(アンヤン)の普通の日常。この日常の中に潜む、ちょっと変わったストーリー。

主人公は40過ぎの独身男性。映画の出だしの10数分間で、この男性がどんな境遇に置かれているのかが、手堅く押さえられている。
すなわち、長年務めた国有企業(?)をリストラで解雇され、屋台でラーメンを食べる金も持ち合わせていない。一応、住む部屋はあるけれど、明日からどうやって生きていけば良いのか、それすらわからない。
どうにかして金をつくり、寒い夜、一杯のラーメンを屋台ですすろうとする。すると、ラーメン屋の大将から「(調理するあいだ)ちょっとこの赤ん坊を抱いていてくれ」と渡される。聞けば捨て子だという。赤ん坊をあやしながら抱いていると、衣服の中にメモが残されているのをみつける。
「この赤ちゃんを拾われた方へ ちゃんと育ててくれるなら、月々の200元の養育費をお支払いします こちらへご連絡ください」と電話番号が書き添えられている。
おっさんは短絡的に思う。毎月200元もらえるなら「この子を預かってもいいかな」と。
ラーメン屋の大将からこの子を譲り受け、部屋へ戻る。翌日、メモに残されていた電話番号へ電話をする...。

捨て子をするというのは、凄くリスクの高いことで、一種の育児拒否。極論すれば殺人(!)なのかもしれない。
子を捨てた親と、その子を拾って育てようとする親(?)が街中の小汚い食堂で出会うシーンは、何とも奇妙な感じ。そして、なんだか妙な具合にお話しは進んでいく。

しばらくして、ようやく背景が理解できてきた。
産みの親は東北地方から出稼ぎに来ている女で、売春婦をしている。この女に惚れているのが売春宿を仕切っている組織の顔役。捨てた子は自分の子供かもしれないと思っている。一方、失業中のオヤジは、子供を傍らに置きながら路上で自転車修理の仕事を始め、少しは軌道に乗ってきたところ(儲かっているとは思えないが...)。
数ヶ月が過ぎ、それぞれの生活が落ち着いてきたころ、女はこの赤ん坊をカスガイにして、男と擬似家庭を築き始める。子供を抱いて街を歩き、買い物をして食事をする。ただそれだけのことなのに、心が和むことを知る。男もまんざらでもない。でも、男の稼ぎだけでは食べてはいけないし、赤ん坊のミルク代も出せそうもない。
女は男の部屋を使って仕事を始める。男は自分の部屋が見える場所で仕事をし、女が客を連れ込む姿を切ない思いで見守るしかない。
そんな奇妙な生活が続き、休日には街へ行く。ある日、二人は写真館で赤ん坊を抱いた写真を撮ってもらう。そこに写っているのは、何の代わり映えもしない一つの家族の写真。夜になると、赤ちゃんを挟んで川の字でベッドに入る。
きっかけは別に何でもいい。こんな生活があってもいいじゃないか。自分さえ我慢すればいいのだから、と男は考えはじめる。

しかし一転して物語りは大きく動き始める。

最後の5分ほどで、事態は思いがけない方向へ向かい、ボクは唖然としてしまう。いや違う。理解出来なかった。
集中力の問題なのかもしれないけど、最後は一体どうなったのか、誰か教えて!

観ていて嫌になったり、悲しくなったり、切なくなったりするお話しではない。だけど、結末以上にボクを悩まされるのが「結局、何が伝えたかったのか?」という素朴な疑問。
拝金主義でありながらも、結局は一緒に生活をしてこその家族ということなのか。では、結局、この男が生きていく意義はいったいどこにあるのだろうか? きっと真面目で正直ものなんだろうけれど、仕事もなく、金もなく、力もない、何の取柄もないこのおっさんはどうすればいいのだろう?
でも、独り身ではなくなり、家族が出来れば人間は変わるということなんだろうか?

どこかで再上映されるチャンスがあるかどうかはわかりません。チャンスがあれば是非ご覧いただいて、最後の5分の謎を教えてください!

おしまい。