インファナル・アフェアIII 終極無間

アンディラウが哀しい



  

この映画を香港で観たのは2003年の年末だったから、実に1年半ほど待たされたわけか。これはちょっと長すぎる。出来れば半年後には公開して貰いたかった。それに、IやIIを観ていない人のために、I〜IIIの一挙上映とは行かなくても、せめてIとIIの再映はして貰いたかったところだ、濃いファンもそうでない方も、それらを観てからIIIを上映しているスクリーンへ押しかけたでしょうに...。なんとももったいない。
でも、この無間道シリーズで、香港映画の復権を世間に印象付けたのは間違いない(かな?)。

改めて、この「終極無限」のストーリーを紹介しても仕方ない。
ただ、改めてわかったのは、このシリーズが無理矢理三部作にしたのではなく、最初からある程度この三作を意識して作られたということ。ストーリー展開にそれほど無理はなく、終盤に近づくに従って、このシリーズの主人公が誰だったのかが色濃くなる。
ヤンとラウのダブル潜入の二人が主人公だと思っていたけれど、実は“無間道”にずっぽり嵌り込んで身動きが取れなくなるのはアンディラウだったのか。

過去の呪縛から解放されたかに見えていたラウ。でも、いつも何かの影に怯えている。そして、いつも気持ちの裏にあるのは、自分自身もいつかはヤンのように“正義の味方”になりたい。そんなかなわぬ思いを胸に秘めていたのだろう。
あるのか、ないのか、それもわからない謎のテープの存在に怯え、結局は自ら墓穴を掘る。いや、それどころかある意味精神に異常をきたしていたのではないか、そんな節もある。
追い討ちをかけるような結婚生活の破綻。

ボクが感じたのは「生き残ることの辛さ」。
事件の渦中やクライマックスで命を落とすのは、何とも美しく、残された者が持つのは美しい思い出だけ。そうだ、惜しまれて死ぬことは美しい。そして、その思い出を持つものは、いつまでもその思い出にしがみついてしまい、現在や今を生きられないだけではなく、なんだか腹にイチモツを抱えたまま生きていかなくてはならない。ある意味、残された者はみじめなわけだ。

ある程度ストーリーの展開を知っているから、今回はじっくりとアンディラウに感情移入して観ることが出来た。
最後の狂気に至るまでのラウの気持ちが痛いほど伝わってくる。

難癖を付けたり、重箱のスミをつつくようなこと、それはもうあえてしない。
このような大河ドラマを、テレビ番組ではなく映画でしてしまうところが凄いね。しかも、考えられる範囲でほぼ可能なキャストが集められている。これほど豪華な面子は考えられない。ちょっと豪華すぎるきらいもある。
ストーリーの整合性もちびっと問題があるかもしれないけど、ここは「うっとりしながら観る」というのが正解ではないでしょうか?
とにかく、もう一度IからIIIまで通しでじっくり観てみたい。是非、スクリーンで。そんな企画をどこかで実現してくれないかな?

しかし、香港の作品で本土の人(普通話を喋る人)が出てくると、反射的に『悪役』と思い込んでしまうのは、どうも悪い癖ですよね。

文句なく、オススメ。これを観ないと、何年か後に後悔することになるのではないでしょうか(そんなこともないか)?

おしまい。