拳が泣く/crying fist

リングではそれぞれの人生が交錯する



  

「甘い人生」が終わってから、鐘閣で食事をした。まだ少し寒かったので、YMCAの近くにあるカンジャタンのお店へ行こうかと思ったけれど、デジカルビのお店になった。
ソウルにある大学の大学院に通っている因幡さん(仮名)と一緒。焼き物をつつきながら、今回ボクがソウルで拝見した映画について、わからなかったことや疑問点を因幡さんに教えていただいた。因幡さんは特に映画ファンでもなんでもない。ボクから見れば普通の学生さん。なのに、ボクの質問にすらすら答えてくれる。すなわち、彼女は「マラソン」も「葱トントン〜」も「潜入捜査」も「マポ島」もちゃんと観ているということ。もし、これが大阪だったら、今上映中の邦画をほとんど観ている学生はまずいないと思う。ソウルでの映画が娯楽に占めるポジションがわかったような気がしました。

この日もピカデリー。
チェミンシクがソウル中の大きい映画館で舞台挨拶を行っている。それならば、彼に会わない手はないと、事前にネットで調べて、この日のピカデリー12:00スタートの回のチケットを押さえてもらった。上映終了後に舞台挨拶があることになっている。
が、500名は入れそうなスクリーンなのにちっとも座席が埋まらない。「あれれ?」

お話しはちっとも難しくない。

かつて、アジア大会で銀メダルを獲得したボクサー・テシク(チェミンシク)。もう人生の下り坂に差し掛かっているにもかかわらず、借金取りに負われている生活。とうとう奥さんは小学生の息子を連れて家を出てしまう。それもそのはず、アパートにあるめぼしい家財道具には裁判所の差し押さえの札が貼られている。
テシクの食い扶持を支えているのは、街角でする「公開スパーリング」。女性は2分、男性は1分で1万ウォン(約1,000円)。スパーリングとは名前ばかりで、要はボクサーの姿をした“殴られ屋”だ。
テシクは繁華街の広場に行くと、準備をする。顔にワセリンを塗り、ヘッドギアを着け、グローブを手にして拡声器を口に当てる。呼び込みも大切な仕事。彼に振られた腹いせにグローブを手にする女。腕に覚えがあるやくざな男。テシクはそんな輩を相手に、スパーリングを行う。それでも、得られる金はわずか。テシクを陰から支え、何かと声を掛けてくれるのが、彼の“リング”のそばにあるうどん屋のおやじ。
テシクが少しずつ貯めていた金も、シャワーを浴びている間に、後輩(?)(イムウォニ、シルミドにも出てましたね)に持ち逃げされてしまう。それに、息子のクラスで子どもを前にしてボクシングの講演をするものの、上手く喋れずに却って息子に恥をかかしてしまった。もう何もかも嫌になったテシクはビルの屋上にある家(というか小屋)にも戻らず、路上生活を始める...。地下街でダンボールにくるまって自堕落な日々を送り始めたテシクが目にしたのは...。

まだ若いサンファン(リュスンボム)。学校へは通っていない。毎日ブラブラしては、子ども相手にカツアゲ(恐喝)をして小遣い銭を手にしているケチな男だ。この日は、パトカーの追跡をどうにか交わしたけれど、次の日はそんなに上手くはいかなかった。このあたりの顔役で、集金をしている男を地価駐車場で待ち伏せして襲った。思わぬ抵抗にぎょっとしたサンファンだったが、このオヤジが心臓発作を起こした隙にセカンドバックを奪ったが、その中に入っていたのは予想を裏切る小金に過ぎなかった。それどころか、とうとう警察のお世話になることに...。そして、少年院に送られる。
そんな息子のおかげで、刑事であるサンファンの父親は警察を辞めざるをえなくなり、慣れない工事現場で働く日々。
サンファンは少年院でも腰が落ち着かず、騒ぎを起こしては独房へ送られる。そして、看守に半場強制され、ボクシングの手ほどきを受けることになる。最初は、騒ぎの原因を作ったボクシング部のエースに対する対抗心だけだったが、キャプテンやトレーナー、それにサンファンを目に掛けている看守に見守られて少しずつボクシングに対する取り組みに変化が出てきた。
そんな日、父親が仕事中に事故で命を落としてしまう。さらに、祖母までも入院してしまう。

ボクシングのリングへ上がり試合を行うボクサーの気持ちは一体どんなものなのだろう。
相手が憎いわけでもない、殺したいとか傷つけたいとか、そんな思いがあるわけでもない。ただ、自分が相手を殴らないと、自分が殴られてしまう。自分が倒されてしまう。ただ、それだけ。
ボクシングが持つ、シンプルなおかつ原始的なルール。それはシビアなものだ。「勝たなければ負けてしまう」
相手が、どんな選手なのか、どんな人生を送ってきたのか、どんな背景を持っているのか、そんなことは関係ない。決められた相手を殴り倒すだけ。そう、相手は関係ない。自分だけとの闘い。
手加減はしてくれない。トレーナーは指示を出したり、励ましたり、声は掛けてくれるが、試合をするのは自分。殴るのも自分だし、パンチをもらって痛いのも自分だけ。

リングは、それまで別々に歩んできた二人の男の人生が、ほんの一瞬だけ交錯する場所。そして、どちらかが勝ち、もう片方は敗れる。

チェミンシクは相変わらずの芝居の達者さを見せているし、身体の動きも素早くこなれていて、彼がこの映画に掛けた意気込みが伝わってくる。リュスンボムも悪くない。鋭い眼光が似合い、ボクシングシーンも違和感がない。脇を固める役者も皆ないい。チェミンシクの後輩(?)、うどん屋のオヤジ、借金取りのヤクザ、リュスンボムの父親、祖母、トレーナー、そして看守...。

が、盛り上がりに欠けると思ったのはボクだけだろうか?
ボクシングという素材をメインに据え、決勝戦は凄みさえ感じる映像だった。お互いが背負う背景も胸にビンビン伝わってきた。だけど、ボクには特に込み上げてくるものは無かった。全てが予想の範囲内で、お話しがあまりにも平板なような気がした。悪く言えば、どこにでも転がっているようなストーリーに「それがどうした?」と思わずつぶやいてしまいそうだった。
別に催涙装置が必要だと思っているわけではない、だけどリングという人生が交錯する場所で闘う二人の男を表現するのに、ただ試合風景を流すだけで良かったのだろうか? 試合を見せなくても、もっと他の方法で観客を納得させる方法があったような気がする(あまりにも正攻法すぎるのでは?)。
そのあたりが、この作品が爆発的にヒットしていない原因ではないでしょうか? もちろん、コケているわけではないし、そこそこ動員も出来ているし、「甘い人生」よりもずっといい出来だとは思うんだけど...。

上映が終わり、そんなことを思っていたら、エンドロールは全く流れず、場内が明るくなる。係員が出てきて「前の方へお越しください!」と言っているのでしょう。
だって映画そのものが観にくい最前部には誰も座っていない。ザザザって感じで皆さん前の方へ。ボクも一緒に...。
待つことしばし。黒いジャケットで白いシャツ、黒っぽいジーンズで割とラフな格好をしたチェミンシクさん登場! 他にリュスンボムとイムウォニも一緒でした。
舞台挨拶というよりも、なんだか撮影会のような趣がなきにしもあらずでしたが...。ボクも、一生懸命写真を撮ったのですが、場内が暗かったので、あまりいい写真が撮れなかったのが残念。所詮、ボクもミーハーなのか。
まぁ、それにしても、チェミンシクの舞台挨拶があって、500人は入る劇場が1/3以下では、ちょっと淋しすぎるような気もしましたね。

細部が理解できていなくて、日本語字幕付きで拝見したら、ガラリと評価が変わってしまう可能性もあります。いずれにせよ、日本公開の際には是非もう一度観たい作品であることには間違いありません。
遅まきながら、これでソウルレポートもひとまず終了。

おしまい。