父、帰る

イワンは誰の心の中にもいたはず


  

「父帰る」と聞いて思い出すのが菊池寛だったあなたは受験生ですか? 日本文学史上に燦然と輝く名作ですね(なんて書きながら、読んだことはないけれど)。

予告編を観たのはもう随分前のこと。何かモノクロの画面を思わせる濃厚にして張り詰めたような画面から受ける印象は鮮烈だった。その割にはなかなかスクリーンに行くチャンスがなく、あせって調べた結果、ようやく神戸のリーブルで拝見してきました。
レイト・ショー。お客さんは20名ほどで思っていたよりも多かったです。改めて言うのもなんですが、ボクはここの硬めのシートもシートアレンジも好きです。まぁ、いつも空いているのもお気に入りの大きい要因ですけどね。
いつの間にかこのビルの上にあった朝日ホールが閉鎖されている。覚えている人は多くないかもしれないけど、今のこのビルが建つ以前、ここにはこじんまりとした常設の映画館があったのですよ、確か名前は「神戸朝日会館」だったような気がします。

さて「父、帰る」。
作為的なものを感じないでもないけれど、実は先入観をすっぱり切り取って、素直な気持ちでスクリーンに向かって欲しい。そしてある意味残酷さも含んだ主人公の成長物語として観ていただきたい。ボクは涙こそ流れなかったけれど、強く胸を衝かれました。

何と言っても素晴らしいのが、その映像の美しさ。決して派手ではないけれど、その一つひとつを切り取って額の中に入れて飾っておきたいような、抑制された美しさを感じる。何気ないカットの全てがいい(ちょっと褒め過ぎかな?)。
弟イワン、兄アンドレイ、そして父。この三人の主人公もね、イイんです。三人三様の面構え。
弱虫のくせに、内弁慶で聞かん気が強いイワン。ちょっと気が弱いけれど弟思い、いかにも兄貴って感じのアンドレイ。何も言わなくてもその目つきや顔つきだけで内面から滲み出る「力強さ」を感じさせる父。いずれも未知の俳優さんだけに、キャスティングの妙を覚えます。
展開されるお話しは実は単純。だけど、その単純な内容を画面で表現していく力量には感心してしまう。
子供たちのとっては12年ぶりの父の帰還。それは母親や妻にとってもそうだったのか。
父の仕事は何なのか。
ボートとともに沈んでいく物は、一体何なのか。
そんな素朴な疑問を、見せることなく、それでいて、さして強引とも思えない語り口でソフトに処理していく。
謎が謎を呼ぶのではなく、明示されなかった部分、それが却って映画を観終わったときの“余韻”として感じられる。上手いなぁ。

根底にあるのは、子供なら誰でも抱くであろう、父への恋慕であり、憧れであり、恐怖でもある。 甘えたい、尊敬したい、そんな単純な思いとは裏腹の行為や発言をしてしまうイワンが自分の少年時代(?)とダブって仕方がない。同じ境遇だったとは言わないけれど、イワンの気持ちが痛いほビンビン心に伝わって来る。

12年ぶりに家に父親が帰ってきた。子供達にとっては、待ちに待った瞬間なのだけれど、今まで写真の中にいるだけだった父が、現実の生きた男としているのが理解できない。特に弟のイワンは、今まで接したことがなかった父に対してどういう態度を取ればいいのかわからない。わからないという気持ちがイワンの心に負担になる。嬉しいのか、喜んでいいのかすらわからない。
12年ぶりの父は、ベッドで眠っている。その父はイワンにとっては闖入者としてしか捉えられない。

その父と旅に出ることになった。
イワンの台詞にも態度にも出てないけれど、この旅はイワンにとっては、今まで待ちに待ったもののはずなのに、いつも友達が父親とキャンプに行くのを指を喰わえて見たいはずなのに、彼は素直になれない(わかるなぁ、イワンの気持ちが!)。
そして出かけた先で起こったことは...。

この映画、実は父親にこそ観てもらいたい。そして、イワンを通じて自分の子供の頃を思い出してもらいたい。それでなくてもここ最近幼児の虐待事件などが頻発している。そして、親子の父子の関係を思い出してもらいたい。
男同士であるがゆえに素直になれない気持ち。男の子であれば、多かれ少なかれ誰もが経験してきた...。

誰にとってもいい作品なのかはわかりません。でも、少なくともボクの心には響いた作品でした。
2003年のヴェネチア映画祭のグランプリと監督賞の受賞作。 残念ながら神戸での上映も終了してしまっているようですが、年が明けてから京都のみなみ会館での上映があるようです。素直な気持ちで観てもらえたら、嬉しいな。
ボクにとっての衝撃度は、今年ナンバー1かもしれません。

おしまい。