オールド・ボーイ

リボンが付いた贈物の箱には要注意


  

「忙しい」を言い訳にして、すっかり更新が滞っております。申し訳ありません。

さて、新天地にある映画館はリッツに決まっていたのに、リッツははるか昔に閉館してしまい、今年になって宝塚劇場の別館(?)が「シネツイン2」としてリ・スタートしている。それは知識としては知っていた。でも、場所がわからない。探してもわからない。仕方がないから電話を掛けて教えてもらった。
知らない人には「十三のナナゲイのようなロケーション」と説明しておきましょう(これもわからない人には不親切な説明になってしまうけど...)。

この映画は、以前にソウルでも拝見している。
ボクはほとんどハングルが理解出来ない。でも、これまでソウルや香港で映画を観て「訳がわからへん」ということは、今まであまりなかった(もっとも香港では漢字と英語の字幕が必ず併記されているので、かなりありがたい)。
でもこの「Old Boy」は、ほとんど理解出来ていなかった。まるで訳がわからなかった。
今回字幕版を拝見して「あっ、わかってなかったな」と思うのではなく、ソウルで観終わった直後に「この映画はわからへんかった」とすぐに思っていた。普通はそれなりに理解出来て、どんな映画だったのか理解出来ているものだけど(時として誤った解釈をしていることもあるけど)、これは全く駄目。
「Old Boy」に関しては理解できたのは、チェミンシクが15年間餃子を喰い続けていたということだけだった。でもそんな“ギョーザ男”のお話しがカンヌでグランプリを獲るはずがないしなぁ...。

今回、日本語字幕付きで拝見して、ボクが受けた衝撃はハンパではない。
「が〜ん。そうか、こんなストーリーだったのか!」

ボクは同じ映像を観ながら、全く違う映画だと思い込んでいた。一つの映像から二つのストーリー。それは得をしたような、損をしたような...。少し複雑な気持ち。

オデス(チェミンシク)は娘の誕生日、雨の公衆電話ボックスから忽然と姿を消す。それまで決していい人でもなければ、いい夫でもいい父親でもなかった。でも、オデスはどうして自分がこんな目に逢うのか、全く理解できていなかった。
オデスはある部屋に軟禁なれている。この部屋にはベッドもシャワーもテレビもある。でも自由が無い。外出する自由がないだけではない、食事を選ぶ自由もない。だから、オデスは軟禁されていた間中、ずっと出前で届けられる“揚げ餃子定食”をたべさせられ続けていた(凄いなぁ!)。
そして、ある日オデスは大きなカバンに詰め込まれ、訳がわからないままマンションの屋上に放置される。そう、解放されたのだ。
オデスは自分の人生を無茶苦茶にしたのは誰なのか、そしてその訳を探す旅に出る。

誰だって、理由もわからないままに15年も軟禁されていたら、気が狂ってしまうだろう。
しかも、労働や苦役を課せられるわけではなく、ただただ無為のまま日々を月日を重ねる。これはツライなんて言葉だけでは言い表せないに違いない。無言の拷問を受けているようなものだ。
しかも、その間に自分は犯罪者に仕立てあげられてしまっている。
そして、その理由がわからない! 一体、誰に、そして何にこの怒りをぶつければいいのか...。

チェミンシクは渾身の演技であることは間違いない。そしてオデスと一緒に謎解きの旅に出るミドを演じるカンヘジョンも文字通り体当たりの演技。
一方、ユジテも今までのイメージをがっらと変える役を、ちょっとおどろおどろしく演じている(この人、こんなに顔が長かったのね!)。
ボクとしては名前は知らないけれど、ユジテの秘書役(?)の方が妙に印象に残るのですが...。そう、もう一人、オデスの高校時代からの友人もね。

とにかく、言葉では表せないちょっと特異なストーリー展開に驚かずにはおれません。ある意味で“必見”。そしてある意味では、観ない方がいいかも。
ボクにとっての衝撃度は、今年ナンバー1かもしれません。

おしまい。