ハナのアフガンノート

噛み合わない心のすれ違いが面白い


  

「午後の五時」に続いてレイトショウ。
「午後の五時」はイランのマフバルバフ監督の娘さんサミラ・マフバルバフが撮った作品だ。そしてこの「ハナのアフガンノート」はマフバルバフ監督の末娘13才のハナがデジタルカメラを回して「午後の五時」の製作過程を撮ったドキュメンタリー。
まっ「親の七光り」と言ってしまえばそれまでなんだけど、両作品ともそれだけではない何かがあるのも間違いない(と思う)。

「午後の五時」は実際にカブールに住む市民をキャスティングして製作された。「ハナの〜」はどのようにして出演者を選んでいったのか、その過程を記録している。
まず、ノクレの父親役。馬車の御者をする寡黙な父親。表情と髭、そして馬車を扱えるかどうかがポイントになっている。
ハナが使っていたのは大きくないカメラだったんだろう。ほとんどの人が、彼女のカメラを意識することなく素顔を晒している。
最初に出演交渉をしたオヤジ、一旦は快諾し、馬の扱いのトレーニングも開始するが、結局「映画には出ない」と宣言してしまう。そのやり取りの一部始終はなかなかケッサク。
でも、サミラ・マフバルバフがいかにこのカブールの街で浮いている存在なのか、それが興味深い。映画を撮る技術や企画は優れているかもしれないが、人間としてはまだまだ練れていないのがよくわかる。

このオヤジとの交渉と並行して、主演の女性を選ぶ作業も行われている。この作業も難航している。紆余曲折、ベストではないかもしれないが、ベターな女性との交渉がまとまるかに見えたが...。

この「ハナの〜」は、もっと稚拙で甘い作品だろうと思っていた。
ところがどっこい。全くハナの感情が入り込まない鋭い視線で描かれている。

映画の出演者を選ぶという作業とカブールの市民の心がまるですれ違っている。お互いが理解し合えないなかでの話し合いは噛み合わないまま平行線を描く。
おかしさとか、滑稽さはないのだけど、お互いが持つ物差しの違いが鮮明になり、面白い。

この映画を観る前に「午後の五時」を観ているので、誰がどの役を演じているのかは知っている。だから、この人は結局父親役を引き受けないことはわかっているし、その前に街を流しているときに一瞬映るおじさんこそがその人だと知っている。自転車に乗る詩人も途中で出てくる。
主演のアゲレ・レザイも、出演を引き受ける前にこんなやり取りがあったのかと、興味深く拝見できた。

この「ハナのアフガンノート」は「午後の五時」とはセットものです。どちらを先に観ても面白いと思います。
こちらももうテアトル梅田での上映は終了しています。上映されるチャンスがあれば、是非セットでご覧ください。

おしまい。