午後の五時

この国の再興を願わずにはおれない


  

東アジアの風雲が急を告げてもう随分になる。
こんなことではアカンけど、もう感覚が麻痺している。
アフガニスタンは一体何で揉めていたのか? すっかり忘れてしまっている。そう考えながら観ていると「そうそうタリバンだった」とおぼろげに思い出す始末。駄目だ。

観に行こうかなと思っていた。かっちゃんからの情報によるとそこそこお客さんが入っているそうだ。それでもうじうじしていたらとうとう上映最終日。ようやく重い腰を上げました。

物語りは、重苦しい。しかし、何故かその節回しは、情緒的で詩的。そして、映像は美しい。

主人公ノクレはカブールに住む。タリバンからの解放を受け、学校で学んでいる。もう就学年齢は過ぎているように見えるけれど、タリバン時代、女性は学ぶことを禁じられていた、だから今学校は年齢に関係なく意欲がある者を受け入れているのだろう。
馬車の御者をする父親、兄嫁とその赤ん坊で生活している。兄は運転手をしていて、パキスタンに出稼ぎに行っている。そしてその兄とは連絡が途絶えている。
ノクレの目を通して、今のカブールやアフガニスタンが抱えている問題が描かれている。
街は荒廃して、都市としての機能は失われている。建築物はどれも戦禍で傷つき廃墟となっている。家を失った市民は屋根がなく壁が落ちた家(家と呼べるのか?)で生活(これまた生活と呼べるのか?)をしている。プライバシーもへちまもない。そんな街へ、パキスタンで難民生活をしていた市民が次々と帰還してくるが、もちろん住む家もない。
ノクレは、兄の消息を尋ねてパキスタンから帰ってきた人々が集まる場所に行くが、誰も彼のことは知らない。

食べるものもない。馬車を轢くウマに食べさせる草もない。住む家も追い出されてしまう。これぞ八方塞がり。
一家は放浪の旅に出る。そして、兄の消息がわかり、赤ん坊が短い生涯を終える。
これが、今のアフガニスタンの現実かもしれないが、あまりにも淋しく、哀しい。

幾つかのエピソードが紡がれている。
父親にはコーランを教える教室に行くとウソを言い、その教室を通り抜け学校へ向かう。その時にズック靴から白い低いヒールの靴に履きかえる。彼女にとってこの靴は新しい世界を象徴するものなんだろうなぁ。
学校からの問いかけに応えて、ノクレは将来アフガニスタンの大統領になりたいと宣言する。もう一人の立候補した(?)クラスメートは、帰宅途中に爆破事故(テロ?)に遭遇し命を落としてしまう。
パキスタンから帰国した詩人の青年、国連軍のフランス人兵士との交流。
高台にある廃墟。バケツを片手に、したたり落ちる雫の音に聞き耳を立てながら歩く。

放浪の末、砂漠の途中で出会った老人と倒れたロバ。そして、生活を支えてきた馬車を燃やす。
この先どうなるんだろう?

そして、この国に対してボクが出来るのは何なのか?
アフガニスタンの再興と市民の幸せを祈らずにはおられない。

考えさせられる作品でした。

テアトルは最終日の最終回。30人ほど入っていたかな。
きっとどこかで上映されるチャンスはあると思います。丹念に情報を収集していただくか、ビデオかDVDが出るのをお待ちください。決して楽しい映画ではありませんが、ご覧になる価値はあると思いますょ。

おしまい。