世界の中心で、愛をさけぶ

う〜む、恐るべし


  

小説としては史上最高の302万冊の売上を記録している「世界の中心で、愛をさけぶ」。
わかりやすく一言で説明すると“難病もの”。
ボクは中学生の方にこの本を借りて読んだので、302万冊の売上には貢献していない。これだけ売れているのなら、ボクが買わなくても大丈夫だろう。
読みやすいお話しで、高校生の爽やかカップルの青春が描かれている。
読みながら、これは四国が舞台ではないか、しかも愛媛県、出てくる動物園は砥部じゃないかな、と思っていた。果たして奥付を見ると、著者は四国出身だった。やっぱりなぁ。映画も舞台は四国。高松周辺と松山市内が使われている。

原作を忠実になぞる必要もないけれど、映画と原作での一番の相違点は、大人になった朔太郎の婚約者がとても膨らまされていること。その婚約者・律子を演じているのが柴咲コウ。この彼女がまだ幼い頃に、朔とアキの恋の仲立ちをしていたという設定。これはこれでなかなか上手い。
映画で最も目を引くのは、若い朔(森山未來)とアキ(長澤まさみ)。特に長澤まさみは頭を丸めて全力投球。これはとても勇気がある、拍手! 最初、高校生の朔と大人の朔に、かなり違和感を感じたけれど、終盤になるにつれ、その感じは薄れ、一体感が出てくるから不思議なものだ。

原作のお話しそのものが美しいので、料理方法を誤りさえしなければ、そこそこの映画になるとは思っていた。そういう意味ではそこそこ上手く料理できている。味付けもピリリときいているしね。

観ながら思ったのは、この映画を一体誰の立場に立って観ればいいのか、その点がぼやけてるかなという点。
小説はほぼ朔の立場で書かれている。だけど、映画では律子への思い入れが大きいだけに、彼女の心情の吐露も大きく扱われている(映画の脚本家による、律子の物語りが文庫で出版されているぐらいだもの)。
ボクは、朔の気持ち一本で押して欲しかったな。そうしないと、現代の朔(大沢たかお)が、とてつもなく優柔不断で、過去を引きずりまくった煮え切らない男に成り下がってしまう。小説の狙いは、過去との決別でもあったハズ。もちろん振り返る過去は甘美で懐かしいものだけど、今を生き続けなければならない朔には、今の朔なりの人生もある。高校の校庭で骨を撒き、アキとの想い出に区切りを付ける。アキのことを忘れてしまうのではなく、そっと胸の奥にしまいこんで、律子と築く新しい人生に踏み出していく、これで良かったんじゃないかなぁ。
自分の心に(想い出に)ズカズカと律子に入り込んで欲しくない、と朔が思っても不思議ではない。

また、蛇足ながらこうも考えていた。
「八月のクリスマス」もよく似た筋立て。この映画は死んでいく主人公ジョウウォン(ハンソッキュウ)の視線で捉えられているのが“凄い”。
人生の筋書きに抗いながら、細々と生きる。そして、思いがけない出会いがあり、淡い恋の可能性を感じる。それでいながら、タムリ(シムウナ)のことを思い静かに自ら舞台を退場していく。この達観した彼の思い、行動は本当に“凄い”。
考え方を少し変えると、死んでいく人は、何もかもがそこでおしまいになるから、ある意味“ずるい”よね。自分の満足だけで、美しい想い出を胸に終えることができるんだもの。その点、残される側は確かにツライ。その気持ちをどうやって整理し収拾をつければいいのか。何も時間だけが癒してくれるのではないはず。
「八月のクリスマス」はジョウウォンの視線だからこそ、あそこまで美しいお話しになったのかな。

若い二人がテープを交換するというのも、映画独自の設定。
この吹き込んだテープを再生して聞くというのは、何とも“なまめかしい”行為だ。今ではもうカセットテープの存在すら忘れられているけれど、こうしてみるとなかなか貴重で便利なものだったんだなぁあ(もっとも、MDでもその代わりの役目は充分果たせるんだろうけど)。
もし、これが手紙や日記でも充分その役目は果たせたはず。そこに書かれている文字を見た瞬間、脳裏には当時の思い出が鮮明に蘇って来るに違いない。でも、映画で、どうせ書いてあることを観客に聞かせるのあれば、テープを交換していたことにするのはグッドアイデア(ボクならとてもじゃないけど、恥ずかしくて録音できないけど)。テープから流れて来るアキの声を聞いたら、間違いなく涙を流してしまうだろう。
現代はwebとe-mailの時代。今やすっかり日記や手紙などの紙のメディアは瀕死の状態。確かにe-mailは早くて簡単で便利。だけど、それと引き換えに失ってしまったものも、なにやっら大きいような気がするけどな...。

もうひとつ。ちょっと気になったのが、朔が律子を迎えに帰郷した際に、何故彼女を探しもしないで実家に戻りテープを聞き始めたのか? この時、朔は律子が最終回のテープを持っていることを知らなかったハズなのになぁ。
何かの折に帰省して、その際にテープを取り出すのならわかるけれど、律子を探すのが先決なのに一番最初にテープを探してしまうのは、何か順番がおかしいような気がするけどね。

まぁ、こんなおっさんの“独り言”はどうでもいいでしょう。
柴咲コウではなく、本当はもう少し線の細い可憐な方に演じてもらいたかったような気もするけど、そこは監督も思っていたのかちょっと控え目な役作りをしていましたね。
普段、あまり感動とか涙とかと無縁な生活をしているような方にはオススメの作品かもしれません。そうではなく、いつも小説を読んでいたり、映画を観まくっているような人には、ちょっと素直な感受性に欠けているきらいがあるので、どうしても粗を探したくなる、そんな作品。

時間の関係で池袋の映画館で拝見しました。400名ほどの入り(ほぼ一杯)でしたが、恐らくボクが最年長者だったと思います(ちびっと悲しかった)。7割方が中高生、一部に付き添いの父兄、そして若いアベック、そんな感じでした。
上映前や予告編が流れているときは、どうも落ち着かなく、場内はざわめいていて、若干の不安を感いていた。だけど、本編が始る頃にはざわめきもピタリとやみ、シーン。皆さん、静かに集中して観てました。終盤にはあちこちから、すすり上げる声が...。
ここの映画館は、事前にwebにアクセスして割引券をプリントアウトして持っていくと、300円まけてくれます。チケットを買うときに観察してたけど、そのプリントアウトを持ってきているのはボクだけやったけどね。
映画を観終わって外に出ると、長蛇の列。直後の回とその次の回は売り切れていました。う〜ん、「せかちゅう」恐るべしやね!

おしまい。