心の羽根

これって、やっぱり失敗作?


  

関西では今日から“入梅”。
春はおしまいになり、もう夏の入口。これから9月の半ば過ぎまでは汗まみれになる季節が続くんだろうな。そう思っただけでも“夏バテ”しそうだ。

さて、ここからは映画のお話し。

よくわからない映画に出会う時もある。
そんな映画は、ボクの理解の範疇を超越しているか、ほんとうに駄目な映画かのどちらか。今回ご紹介する「心の羽根」は、ほんとうにあかん映画だったのかもしれない。捉えどころがなく、フワっとした不思議でいながら、どこか狂気を孕んでいる。
作り手の強い意志は伝わって来るけれど、それがどうも上滑りしている。かと言って、それをそう“惜しい”とも思わない、そんな映画だ。敢えて言うなら「失敗作」と呼べるだろうか。

舞台は現代のベルギー。街に住む若い夫婦。5歳くらいの一人息子アルチュールがいる三人暮らし。
何気ない日常を克明に記録することで、落差が強調される。だから事件が起こる前の暮らしが丁寧に描かれる。それが起伏のない平板な描写だから、思わず眠気を覚えるくらい。
そのアルチュールが幼稚園(保育所?)の窓から、編隊を組んで飛ぶ渡り鳥を見上げる。そして、自分も“渡り”をしてみたくなる。塀の外へ飛び出していき、そのまま帰って来ない。

母親ブランシュは愛息の死が受け入れられない。
心の中にだけ見える息子の姿を追い求めて彷徨い歩く。この心の均衡を失ってしまった母親の姿、心の模様が繰り返し描かれるのだけど、それが観ているボクには理解出来ない。そしてとてつもなく退屈な描写になっている。
愛する人を亡くし、残された人の悲しみを描く映画はごまんとある。だけど、ここまで共感出来ない映画も珍しい。
ブランシュが頼り、彼女を支えるべき夫ジャンピエールは何をしているのか。話し合うでもなく、諭すでもなく、そして支えるわけでもない。ひたすらに避け、どこか恐がっているようにすら見える。こんな夫婦って、一体?

謎のおかしい少年にはどんな意味があったのだろう? 彼の存在は?

ユーロスペースにお邪魔したのは、随分久し振り。ここは個性的な作品が上映される。いい作品も多いけれど、時々全く意味不明の映画が上映されることもあるよね。
何本か映画を観ていると、こんな映画に出会うこともあります。

鉄で出来た太い送水管の上をコツコツ音を立てながら歩いて行くシーンだけは気にいりました。
大阪での上映は未定のようです。お時間があれば引きとめはしません、でも敢えてわざわざスクリーンで観る価値があるとは思えませんけどね。

次回は、ようやく順番が廻って来た「スイミング・プール」を紹介させていただきますね。

おしまい。