「25時」

痛い!


  

御池から地下鉄に乗り九条に戻る。
ずっと観たいと思っていたのに、大阪や神戸での上映を観逃し、とうとう京都で観ることになった「25時」。みなみ会館ではこの日が初日。そこそこ人が入っていて50名弱ほどかな。駅からそう遠くないけれど、そんなに足場が良いわけではないこの劇場。手作り感覚で、お客さんから愛されている感じがします。これからも頑張ってもらいたいですね。

「痛い」映画。
ベースには「後悔」が流れている。

40手前ぐらいかな、主人公のモンティ(エドワード・ノートン)は、麻薬のディーラー(売人)。ずいぶん年下でまだ若いプエルトリカンの愛人と高級アパートで暮らしている。
だけど、どうも冴えない顔をしている。それは、麻薬捜査官に踏み込まれ、多額の現金とブツを自宅に隠匿しているのを発見されてしまったから。おかげで、明日から7年間刑務所に入らなければならない。
でも、ここでちょっと疑問に思ったのは、刑が確定していて、その収容期間が開始されるまで、自宅で自由にしていられるものなんだろうか? 経験したことがないからわからないけれど、普通は裁判で刑が確定した瞬間から、街には戻れず収監されるものだと思っていた。

モンティは言葉に出して怯えている。ハンサムで優男の自分は収監されたら、そこでかなりツライ目に逢わされる、そうに違いない。暴力と腕力だけがものを言う刑務所で、誰かに目を付けられ、押さえつけられてカマを掘られてしまう。
脱獄するか、死んでしまうか、それとも刑期を終えて街に戻ってくるのか。ただ、三番目の選択肢「街に戻って来る」は選択肢として存在するだけで、その可能性は限りなく低い。すなわち、脱獄して、(もしそれが成功したとしても)一生追われる身になるか、死んでしまうか...、五体満足なまま戻っては来ることはない。と、言うことは、明日になればモンティは事実上「死ぬ」。

登場するのは、モンティの恋人・ナチュレル、高校時代からの親友で辣腕株式トレーダーのフランク、同じく高校時代の親友で世間知らずの高校教師でユダヤ人のジェイコブ、ヤクの卸をしているロシアマフィアのボス。そして、消防士を引退してパブを経営しているモンティの父親。そして愛犬のドイル、と決して多くはない。

捜査官たちが踏み込んで来て、いとも簡単に現金とヤクの隠し場所を探り当てた。間違いなく内通者がいたことを示している。それは、愛するナチュレルなのか? 二人で過ごせる時間はもうほんの僅かしかないのに、モンティはナチュレルを疑っている。
最後の晩は、高校時代の友人たちと一緒に時間を過ごす予定にしている。そこへ、マフィアのボスが自分のクラブへ顔を出すように言ってくる...。

言ってみれば、モンティにとって「生きている」最後の時間。
その残された時間をどんなふうに過ごすのか、観ているこちらにそんなことをじっくり考えさせるドラマが展開されると思っていたけれど、ちょっと違った。これは観る人によって解釈はさまざまだろうけれど、ちょっとクールで、暗喩に富んだ構成になっているような気がする。ボク自身はもう少しわかりやすくて、濃厚なドラマを期待していたんだけどな。

モンティは最後までわりと漫然と時間を浪費しているように見えた。ほんとに最後を除いて。
「どうしてこんなことになってしまったのか?」という自分を突き放した後悔は確かにしている。でも、運が悪かっただけで、麻薬のディーラーとしての自分を反省しているとは見えなかった。もうちょっと儲けてから足を洗おう、そんな欲を出したのが失敗だったのか...。ただ、彼の心のほとんどを占めているのは、「怯え」と密告者に対する「恨み」。
二人の友人の態度も対照的。「モンティにはもう会うことがないだろう」と割り切っているフランク、「出所後また以前のようにつきあえる」と楽観しているジェイコブ。

最後の朝、モンティはフランクに意外な依頼をする。
そして、迎えに来た父親のクルマに乗り込み刑務所へ向かう。その途中で彼が見た夢は...。

何とも言えない。

もう、少し京都のみなみ会館では上映をしているようです。わざわざ京都まで行くことはなく、ビデオやDVDでも充分かもしれませんね。

おしまい。