「延安の娘」

『下放』とは何だったのか


  

梅田ガーデンシネマでこの日初日の「ミトン」を観るつもりで家を出たのに、阪急に乗っている間に、ちょっと気が変わって、テアトルへ。
これもこの日が初日の「延安の娘」を観ることにした。
それにしても、この寒さは何だ。昼間でも寒い寒い! 手袋が手放せない!

日本制作の映画だけど、全編中国語という不思議な作品。それもそのはず、中国で撮影されたドキュメンタリーだもの。日本語が入っていなくて当然か。
表面的には、生後間もなく延安で里子に出された娘が、産みの親を捜すというストーリーなんだけど、本来のテーマは1960年代後半からのほぼ10年間、中国全土に吹き荒れた「文化大革命」。中でもその革命で中心的な役割を担った都市部の中高生を農村に送り込む「下放」。その「下放」からほぼ30年が過ぎ、「下放」とは一体何だったのかを問うドキュメンタリー。

延安から迎えた娘さんを歓迎する宴の最中で「ここまで苦労させられた『下放』がこのまま忘れ去られてもいいのか」と論争するシーンが印象に残る。

それぞれの運命を大きく変えてしまった「下放」とは本当に何だったのか。成功した政策ではなかったのははっきりしているけれど、その責任を誰も取っていない。形式的には責任を取ったかもしれないけれど、1,600万人(!)もの若者たちの青春は返っては来ない。その若者たちだけではなく、その子の世代も何らかの形で影響を受けている。

延安とは、中国共産党が国民党から逃れ、「長征」の果てに辿り着き革命の拠点となった「聖地」。北京の中学生はここに下放される。
学生たちはここで何時終わるともしれない農作業に駆り出される。機械も何もない。あるのは自分の手と足、そして原始的な道具だけ。
画面に映しだされる延安は、その画面を見ているだけで絶望してしまう。こんな土地で農業が営めるのか。これを畑と呼んでいいのか。そんな気持ちにさせられる。
それは恐らく当時の学生たちも同じ思いだったはずだ。

ここに下放された若者が反革命的行為を行い、身籠もってしまう。当局にばれれば反革命罪で強制労働所行きだ。恋人同士は密かに赤ん坊を産むと、その子をその場で産婆に預けてしまう。赤ん坊は近隣の子供がいない農家に貰われて行ったのだ。若い二人はやがて北京へ帰郷してしまった。
時は流れ、自分が下放青年の子供だと知った海霞・ハイシァは、本当の親に会いたいと思い、探し始める。
この海霞の親探しがお話しの縦軸として語られ、この縦糸に絡まるように、幾つかのサイドストーリーが同時進行で語られる。
そして結論が出ない「文革・下放とは何だったのか」という問題が、この映画を観ているボクたちに投げかけられる。

登場人物それぞれの下放の断面や後遺症。
答えなんか出ないし、結論の押しつけもない。振り返るのも自由、振り返らず忘れるのも自由。

切ない。

それにしても驚くのは、目標に向かってストレートに突き進む中国人の姿。もちろん、協力なくてこの映画は撮れなかっただろうが、人の痛い部分にもズカズカと足を踏み入れていくのには驚きました。これが日本なら、取材対象を怒らせてしまい映画どころでは無かっただろうに...。
もうひとつ、この映画は大陸では上映されるのかな。

決して観ていて楽しい映画ではありません。中身の濃い人間ドラマは展開されていますが、芝居ではなくドキュメンタリーです。結論も無ければ、ハッピーエンドを迎える訳でもない。ただし、丁寧には作られています。
中国の近現代史に興味がある方にはおすすめしますが、そうでは無い方には...。

しばらくはテアトル梅田で朝の10時スタートのモーニングショーのみでの上映。この日は初日。50名ほどの入りでした(びっくりしました)。そのほとんどの方が、普段はテアトルで見かけることのないような方々でした。

おしまい。