「アマロ神父の罪」

これがイスラムなら...


  

ぶるぶるっとこの冬最大の寒波がやって来た。寒いねぇ。北風がまともに吹きつけて、真夜中に網戸ががたがた鳴る音で目が覚めた。ハナのアタマが冷たかった。今朝はうっすらと雪景色。初雪でした。
夜明けが徐々に遅くなっている。いつも起きる6時前はまだ「真っ暗」。徐々に明るくなり、6時半ごろから朝の気配が漂って来ます。
12月も20日を迎えると、いよいよ今年もおしまいですね。

さて、今回テアトル梅田で拝見してきたのはメキシコの作品「アマロ神父の罪」。
「アモーレス・ペロス」「天国の口、終りの楽園。」のガエル・ガルシア・ベルナルが主演し、「差出人のない手紙」のカルロス・カレラが監督を務める。ちゅうことは、数多く見ていないメキシコ映画のオールスター作品か。
可憐で美しい薄幸の乙女・アメリアを演じるのはアナ・クラウディア・タランコン。この子、なかなかかわいい。

「問題作」とか「上映中止運動展開!」なんて書いてあったけれど、ボクは敬虔なキリスト教徒ではないので、この映画は「フツーの映画」として受け取った。
野心を抱くエリート神父が、許されぬ恋に落ち、肉欲に溺れ、そして大望と愛を天秤に架ける。そんなストーリー。その切り口に新鮮さはそう感じなかった。それどころか、勉強不足で神父が独身を通さねばならないことすら知らなかった。

だから、ストーリーや内容そのものよりもガルシア・ベルナルやクラウディア・タランコンの動きに目が行く。この二人、いいです。
教会の年老いた用務員(?)を解雇するときのぞっとするような冷たさ。懺悔を伝えるアメリアの若いのに年増のような色香。
また、サイド・ストーリーにも事欠かない。
僻地の神父が農民運動へ傾注し、ゲリラを匿っている嫌疑がかけられる。麻薬王から送られる多額の寄付金。新聞による腐敗の摘発と記者の解雇。障害を持つ娘の父親は、医学だけでなく呪術にまですがる...。

この映画を観ていてふと思ったのは「この作品はある意味キリスト教を茶化したものだ、これがキリスト教でなくイスラム教だったりユダヤ教であったらどうなっていたのだろう?」ってこと。考えただけでも恐ろしい。

残念ながらテアトル梅田での上映は終了しています。
チャンスがあればご覧になっても損はないと思いますが、それほどのオススメでもないのが正直なところかな。
但し、映像の美しさには息を飲みます。特に冒頭に映しだされるメキシコの大地には溜息が出ますよ。コレで一気にこの映画の世界に引き込まれてしまいます。
そう言えば、観たいと思っていた「マグダレンの祈り」。見逃してもうたなぁ。

次回はパペットものの「ミント」を観てくる予定です。

おしまい。