「春夏秋冬...そして春<仮題>」

人生は回り舞台だ


  

キムギドク監督の新作とあって、胸を高鳴らせて出掛けた。この作品は、今年の「TOKYO FILMeX」の目玉と言っても過言ではないと思っていた。
ボクはこの監督の作品を全て観たわけではない。「魚と寝る女」と「Bud Guy/悪い男」の2作品を観たのに過ぎない。でも、彼の新作であれば、この2作品の延長線上にあるのではないかと思ってしまうのは不思議ではないでしょ。その思いは、いとも簡単に裏切られてしまう。

この思いは映画が始まってすぐに現実のものとなった。
確かに映像は美しく、そして寓意に充ちた素晴らしい意図を持つ作品であることはわかる。でも、どこか腑に落ちない。狙いというか、意図というか、テーマがまるで「童僧」と同じ。同じストーリーを見せ方をを変え、順序を並び替えただけではないのか? そんな思いが頭をよぎる。
和尚さんは「童僧」で全く同じ役をしていた役者さん。小僧さんはさすがに違う子供だけど、どちらかと言うと「童僧」の子役の方がかわいくて親しみやすい(芝居も上手い)。
キムギドク作品に期待するのは、こんな美しくてあっさりとしたものではない。もっとドロドロした、いやエキセントリックでさえある、突飛なストーリー・展開を期待している。回りくどい形而上的な思わせぶりではなく、ストレートで、異常で、しかも最後にはそんなものを突き抜けた部分で観ているものを納得させてしまう、人間の根源に迫るような迫力を期待している。

ボクは今まで「この監督の作風は...」と言うような表現は極力避けてきた(つもり)。それは、たまたまボクが前作を観ただけの話しであって、その作品で初めてその監督の映画を観る人が違和感を持たないように配慮してきた(つもり)。
でも、今回はキムギドク監督への期待があまりにも大きかったから、ついついこのような書き方をしてしまった。「そりゃ、ないよ。監督!」

ヘビは和尚さん、魚は女性、そしてカエルは本人を象徴していたんだろうな。

四季をあらわしている。その四季は人生の四季。
幼い春、青年期の夏、悟りを得る中年の秋、老齢を迎え成熟する冬。そして、未来に繋げるために幼子を見守る春が再び巡って来る。人の一生は、その生をまっとうできれば、それは四季のようなものだ。そう監督は言いたいのだろう。
舞台はそのほとんど全てが浮き御堂とその周辺。そして、何故か意味をなしていないのに、形式として存在する扉が、池の入り口と御堂の中に意味ありげに配されている。
確かに各季節にドラマは配されている。でも、各々のドラマは説明が少なく、観ている各人の解釈に委ねられている。

何だか肩透かしを喰ったような、ボクにとってはやや消化不良を起こさせる映画でした。
広い有楽町朝日ホールはほぼ満席の盛況。上映終了後に監督本人のトークと質疑応答がありました。
恐らく、そう遠くない日に劇場公開されるのではないでしょうか。必見とまでは申しませんが、キムギドク監督に興味をお持ちであれば、ご覧になってもいいのではないでしょうか。

おしまい。