「アブジャッド」

ちょっと前のイスラムの青春


  

「TOKYO FILMeX」で続けてもう一本。今度はイランの作品「アブジャッド」。これと言って大きな物語があるわけではなく、この映画を撮った監督さんの少年時代を扱った伝記的な作品。
アボルファズル・ジャリリ監督は「少年と砂漠のカフェ」を撮った監督さんなんですね。この人(監督さん)がなかなか様々な才能に恵まれた、才気溢れる少年だったことが垣間見れて面白い。
この少年、何故か、何をやっても、何に興味を持っても、超保守的な父親に反対され叱られてしまう。観ていてちょっとい可哀想なぐらいだけど、こちらはニヤニヤクスクスしながら観てしまう。

塀を乗り越えて校庭に入ったところを先生に見つかり罰を受ける。
詩が気に入り、習作を朗読していたら、左翼かぶれと間違えられ叱られる。
レスリング大会で優勝して、カップを家に持ち帰ると、誉めてもらえるどころか、そんなヒマがあるならもっと勉強しろと怒鳴られる。
家に転がっていたカメラを片手に写真を撮ると、そんなことをせずに勉強しろと叱られる。
学校に残り、スローガンを書いた横幕を書いていると、要領よくしろとまた叱られる。
校長先生が左遷されると知るや、デモ隊を組織して役所にねじ込む。その結果は一年間の停学だ。
全寮制の神学校の面接では左翼的な発言を繰り返して、あきれられる。もちろん、入学は不許可だ。
停学中に始めた看板屋がヒットして小金持ちになったと思ったら、役所の不正を糾弾して逮捕されてしまう。
極めつけは、同級生で近所に住むユダヤ人の少女との恋とは呼べないような淡い恋。その許されないお互いの境遇が笑えるんだけど、涙さえ誘われる。

そうこうしているうちに、国中がどんどん宗教化され(イスラム革命)、右に傾き、きな臭い匂いが立ち込めてくる。
気がつけばユダヤ人は敗訴され、国外へ逃れれるのか、それとも収容所のような場所へ移されてしまう。そんな彼女の一家を追いかけていくのだけど...。
そして、イラン・イラク戦争の勃発。戦争が監督の少年時代の終わりを告げる引鉄になった。

時代背景をしっかり知っておかないと、なかなか理解できない部分がある。
事前にどんなストーリーなのかを知らずに、この映画を観たので、どこに山があるのかすらわからず、ずっと集中して観ていることに疲れてしまった。
もっとさらりとした気分で観ていたら、また違った思いでこの映画を眺めていただろうになぁ。
監督のお父さんがどうしてあんあに「勉強しろ、勉強しろ!」としつこく言うのかがわかりにくかった。彼の今の境遇をもう少し紹介してくれていたら、同情するなり、反発するなり出来たのにな。そういうちょっとした丁寧さがないことが積み重なって、題材としては面白いのに、観ていて淡々と流れていくだけの作品になってしまったような気がする。ひょっとしたら、イランの人にはそのへんの説明を省略しても充分通じるのかもしれないけどね。

一般公開はどうでしょう? ちょっと難しいかもしれません。
会場は空席が目立ち、半分も席は埋まっていない感じでした。上映終了後に監督さんのティーチインがあったようですが、後の予定が詰まっていて、それを聞くことはなく会場を後にしました。何しろ、公式発表されていた上映時間よりも10分以上長かったもんですから(これはイカンなぁ)。

おしまい。