「人生は、時々晴れ」

俺の心は枯れ木のようにカサカサだ


  

本当に天候が不順。まだ夏休み中だと言うのに秋風が吹き、雨も多い。夏の甲子園ではなく、センバツの頃のような気がする。こんどの冬は寒くなるのかな?

さて、続けてアサヒシネマ。今度は一階のスクリーン。ここもシートが新しくなり、レイアウトも変わっている。今までは中央に通路があり、左右に分割されていたのが、通路がなくなり、シートピッチも左右の幅も広がったような気がする。ボクが行く映画館で昔の雰囲気を残しているのは西灘劇場ぐらいになってしまったなぁ。

梅田では三番街シネマで上映され、あれっと思っている間に終了してしまった「人生は、時々晴れ」。予告編はさんざん見せられたのに本編は、うかうかしている間に見逃してしまった。「ラッキー・ブレイク」でピアノを弾く囚人を演じていたティモシー・スポールが主演、英国の低所得者層を主人公としたなんとも気が滅入りそうなお話し。

ところが、このストーリーそう悪くないのだ。確かに気が滅入る設定。しかし、この物語りから愛とは何か、家族とは何かを考えさせられる。何も腫れた惚れただけが愛じゃない。もっともっと地道で身近なものにこそ愛はあり、普段は見落としてしまいそうな普通のことの積み重ねが家族なんだ。

同じ集合住宅に住む三家族のお話が並行して、時に絡み合いながらストーリーは進んで行く。
メインのストーリーはフィル(ティモシー・スポール)の家族が語って行く。タクシー運転手のフィルは稼ぎが悪く、奥さんはスーパーでレジ打ちのパートをしている。娘は老人ホーム(?)で掃除婦をし、息子は学校にも行かずにぶらぶらしている。
親子の関係、夫婦の関係はぎくしゃくしている。そのぎくしゃくした関係が実に丹念に描かれている。この前半の丹念さが広範に生きてくる。
この家族が、あることをきっかけにして再びまとまりを取り戻す。それも、何もいい事ばかりではなく心の痛みを充分伴って。
泣いてもいい、怒鳴りあってもいい。しっかりと腹を割って思っていることを口に出して相手に伝えることは大切なんだなぁ。でも、それが意外と出来ないのが夫婦であり家族なのかもしれないけど。

フィルの奥さんがなかなかいい演技しています。この映画で一番常識的な人この人だったかもしれない。その他も特色のあるキャラクターを確かな演技でしっかり見せてくれます。

まっ、いろいろ考えさせられる作品であることは確かです。
しかし、何もかも放り投げて、海岸線へクルマを走らせるフィルの気持ち、なんだか良くわかるなぁ。

おしまい。