「能楽師」

連綿と受け継がれる幽玄なる世界とは?


  

能とは何か? 
能が古典芸能であることや日本史で習った観阿弥・世阿弥は知っていても、能が何なのか、能の舞台がどんなものなのかは知らない。知っているのは能面と呼ばれるお面をかぶって踊る舞いと謡いが重なり合っていることぐらいか。「能面のような」とか「能舞台」という言葉は使ったりするんだけどね。

この映画を観たからといって、能のことがわかるわけではないけれど、どんなものなのか、そのほんの一端を知ることは出来る。出来れば、書物で少し勉強してからこの映画を観ればもっとわかると思う。

「して」と呼ばれる舞台で舞う主役の人は、どうやら世襲だれるようだ。
その70代になる父親と、40代の本人。そしてちらっとまだ幼い子供も出てくる。基本は父親と本人の対談形式。この二人の対談を通して能の奥深さが語られる。
驚いたのは、もう遥かかなた以前に著された世阿弥の『風姿花伝』(花伝書)が、未だに最高の教科書として使われていることだ。

考えてみたら、ビデオが普及したのはここ20年、テレビだって50年かそこら、写真や映画も100年。
それ以前は、緻密な絵画を別にすれば、能だけに限らず伝統芸能は全て口承によって後世に伝わってきている。それが能の世界においては開祖とも呼ぶべき世阿弥が奥義書を残しているのだから、それが未だに最高のものとして尊ばれていても不思議ではないのだけれど、驚いてしまう。
その歳月の間に能は何も変わっていないのか? 進化したり、後退した部分はないのか? 調べようはないけれど、不思議。時代が変わり、人が変わり、環境が変わり、そして考え方も変わっている。それなのに能だけは変わらないのだろうか?

映画が進むにつれ「ひょっとしたらあんまり変わっていないのかもしれないな、この世界は」という気がしてくる。
さらに、一度能の舞台を見てみてもいいかなという気にさせられる。

おとっつあんも真面目なら、本人も大真面目。
こうして、連綿とこの家系に刷り込まれていく何かが能にはあるのでしょう。

フィクションなしのドキュメンタリー。
彼がサッカーが好きで能を離れてグランドでボールを蹴る姿が新鮮でした。
お父さんは、例えが上手くないな。というかあまり喋り慣れていないように見受けました。

日本人でもさっぱりなのに、英語字幕付きとはいえ、外国人がこの映画を観て能が理解できたのかどうかは、甚だ疑問ではあります。
ヌーヴォのモーニングのみの上映でしたが、なんと30名をオーバーするお客さんには驚きました。残念ながらもう上映は終了してしまいました。恐らく、どこか他でも上映されるチャンスがあると思いますので、そんなチャンスに巡り合ったら一度ご覧下さい。損はしないと思います。

おしまい。