「童僧」

しんみり心に染入るストーリー


  

この日最後に観たのは「童僧」。かわいい子供のお坊さんのお話し。

この映画を観るまでに、映画の合間にグレー僧衣を羽織った方が、このMEGA BOXに数人いらっしゃるのを見かけて、頭の中で「?」が点滅していたけど、謎が解けた。お坊さんたちもこの映画を観に来ていたんだ。もちろん、普通のお客さんもいるし、子供連れの方も目立っていた。

「ボリウルの夏」は、どこか憎めない不良坊主がサッカーのコーチをするストーリーだったが、今回は両親と死別して(?)山の中にあるお寺に預けられた、まだ小学校に入るか入らないぐらいの男の子が主人公。
彼が寝起きするお寺にはハイティーンの修行僧と年老いた住職の三人暮らしている。この三人が繰り広げる珍騒動がメインのお話しかと思っていたら、意外やしんみりさせられるストーリー。

映画の冒頭、裏山に登り、遠い故郷(?)を物思いげに眺めながら佇む小僧さん。訳がわからないままに、いきなり涙を誘われるシーンで始まる。
この小僧はニョム。このお寺に預けられるときに「ニョムの背が高くなれば、迎えに来る」と言われたことを覚えている。裏山の木には彼の背丈を刻んだ木が立っている(この木の幹に何本も線が引かれているのが悲しい)。お寺の手伝いをしてくれる村のおじさんに背を測ってくれとせがみ、さらにどこまで背が伸びれば迎えが来てくれるのかと尋ね、彼を困らせる。
学校には行かない(行けない?)。だから、学校の教室を覗き見しては淋しさを紛らわす。村の子供たちからは、何かと理由をつけてはいじめられてしまう。
そんなニョムがお堂の同じ一室で寝起きしているのが青年僧のチョンシン。まだまだ遊びたい盛り彼は、なかなか己の煩悩を消すことが出来ない(あたりまえか)。彼と和尚との問答は爆笑を誘うし、好奇心満々の彼の行動は湿っぽくなりがちなこの映画を和ませてくれる。

ある日、このお寺に中年の女性が訪ねてくる。彼女の姿に自分の母親を像を重ね合わせたニョムは、もう居ても立ってもいられない。だが、彼女は幼くして亡くした自分の息子の供養にこのお寺を訪れただけだった。しかし、この小僧を見かけた彼女は和尚さんに養子に貰いたいと相談したのだが...。ニョムにはそのことは知らされていない。

季節は流れて、チョンシンは自分の煩悩に抗えなくなり、自らの指を焼いてしまう(このシーンはなかなか壮絶)。そして、お寺から飛び出してしまう。
そんなことがあってから、あの女性がお寺に再びやって来た。この女性にもらわれることを知らされニョムは喜ぶのだが...。間の悪いことに、村に住む悪ガキどもとウサギを捕まえて食べていたの和尚さんにばれてしまう。
ニョムは夢にまで見ていた日がやって来たというのに、和尚さんは許してくれない。全てがブチ壊し。ニョムは裏山に駆け上って叫ぶ。その姿には韓国も日本も関係がない。観ているボクも思わず貰い泣き。そしてニョムは...。

ニョムがこの女性を追いかける視線は、それだけでニョムが知らない「母親」を充分に感じさせる。優しさと憧れが入り混じった、ちょっと甘ったるいけれど同感できる映像。
またニョムが瓢箪を割った容器で水を汲むシーンや沢で手を洗う場面など、随所に美しいお寺の景観や田舎の郷愁を呼ぶ光景も散りばめられていて、ほんとに映像は美しい。
優しさと厳しさ、笑いと静寂。そんな本来相反するものが上手く入り混じった作品。最後にやりきれなさが残る点がすっきりしないのがちょっと残念。感動とか感激という感覚からは遠い場所にあるけれど、しんみり心に染入るストーリーです。ご覧になって損のない映画と言えるでしょう。
ニョムを演じた子役がかわいい。くりくりっとした瞳が印象に残ります。このあまりものを言わない韓国版の一休さんには心が和まされますね。また、世俗にいればなんの不思議も無いけれど、敢えて修行の場にいることでおかしさが何倍も膨らむチョンシンもいい感じです。お寺で三人が一緒にお風呂に入るシーンはなかなかですよ。
日本での公開はどうでしょう? 劇場公開は難しいけれど、映画祭などで上映されるチャンスはあるかもしれません。

この「童僧」のweb-siteはなかなかかわいいので、興味があればご覧下さい。表示はハングルと英語が選べます。

さすがに、一日に5本もまとめて観るのは疲れました。しかも、オール・ハングルだったのでクタクタ。途中で、何を勘違いしたのか「なんで、字幕が出えへんのや?」なんて思ったりもしました。映画が終わるごとに、簡単なメモを取っていましたが、それでもどんどん忘れてしまうものですね。
ホテルで朝食を摂って出かけ、結局COEXで昼食もおやつも夕食も食べてしまいました。

次回は、ソウルレポートの最終回「先生キム・ボンドゥ 」をご紹介する予定です。

おしまい。