「ヘヴン」

これは大人なのための御伽噺なのかもしれない


  

予告編を観たときから、何か惹きつけられるものを感じていた。激しく、それでいながら抑制の利いた「大人の愛」を描いているに違いない。そんな香りが漂っていた。

ある意味では、確かにその香りは漂っていた。しかし、ある意味では裏切られた。
説明が極端に少ない。そしてセリフさえも多くない。この映画は「感じさせる映画」だ。

サスペンスタッチのようでいて、濃厚かつ淡白な恋愛物語り。
果たしてこの二人のような関係から恋愛は成り立つのだろうか?
男の父親が逃避行途中の二人に逢いに来る。「あなたは息子を愛しているのか?」という質問に、女は口ごもる。ボクは、ここで女が「愛している」と答えなくてもいいと思った。この二人の関係はまだ愛とは呼べなのではないか? 女にはこの男の好意に甘えるしか選択肢はなく、そしてここまで逃げてきてしまったのではないか。彼女が始めて意思表示したのは「ここ(イタリア)に残る」という言葉。

フィリッパ演じるケイト・ブランシェッドは「指輪物語」にも出ていた方。ボクにとってどちらかと言うと苦手なタイプの人だ(これが、違うタイプの女優さんがこの役を演じていたら、この映画の印象全てがガラっと変わってしまうだろう)。意志が強そうに見えて、その実涙もろい。外見的な逞しさにか弱さをあんまり感じないのも一因。それに、この作品では最後まで彼女に対して同情することさえ出来なかった。だいいち、彼女はれっきとした犯罪者であり、綺麗とか綺麗じゃないとか、恋しているとかいないとか、そんなのは関係なく法で裁かれるべき存在なのだ。
そんな彼女を一目見て恋に落ちるフィリッポもボクには理解できない。いい年して寝小便するエピソードは彼の人間的(それとも性的?)未成熟さを暗示するものなのか? 幼い弟を巻き込んでまで彼女を「脱獄」させるのは、恋故になのか? その恋は、自分の職業はもちろん、父親や家庭を崩壊させるリスクが無茶苦茶高いことを彼はどこまで認識していたのか?

しかし、そんなことはさておき、こんな御伽噺のような恋に落ちてみたいという淡い願望は誰の心の中にも巣食っているのは確かだろう。現実的には理性が、現実が、邪魔をしてこんな恋に落ちることはご法度なんだけどね。
それを見事に映像化しているところにこの映画の素晴らしさがあり、うっとりさせられるのだ。

冒頭のヘリコプターシュミレーションの画面は意味不明な印象を与えながら、鮮やかにラストシーンに生きている。ここだけ観ても、このお話しが御伽噺なんだと理解できる。
イタリアのどこかしらないけど美しい丘陵地帯。童話の中の風景のようで、挿絵に出てくるような古城に農家。リアリティさは全く無いけれど、夢を見させてくれるのはぴったりな庁舎の屋根裏部屋。古い町の教会で、多くの人に祝福を浴び満面に笑みを浮かべる幸せそうなカップルと、それを通りの向こうから眺めている主人公たち。そして、二人のヘア・スタイル、フィリッパとフィリッポという名前(この名前にどんな意味があるのかな?)などなど...。

逃避行を続けていくうちに、二人の純白のT-シャツがだんだん薄汚れていくのは何かに対する暗示なのでしょうか?

観る人によってこの作品に対する評価は大きく分かれるような気がする。ボクには駄目だったけど、きっとこの映画を素晴らしいと感じる人も大勢いるに違いない。感動したり涙したりする作品ではないけれど、観終わってからジーンと心に染み入る、そんな大人の映画なのかもしれません。
もうしばらく梅田のOS劇場C・A・Pで上映中です。まずまずのオススメ(?)。

おしまい。