「SWEET SIXTEEN」

つらい、つらすぎる。


  

観ていて息が詰まりそうな映画。

イギリスのどこか、きっと北部のそう大きくない地方都市が舞台。この街に住むもうすぐ16歳になる少年リアムが主人公。リアムの家庭はちょっと複雑。父親はいない。母親は刑務所に入っている。年が離れた姉には赤ん坊がいる(この赤ん坊の父親は出てこない)。リアムは血の繋がった祖母と暮らしているが、その家からは追い出されてしまい、姉が住むアパートに転がり込んでいる。まだ15歳なのに学校へは行っていない。
ボクのイメージしているイギリスは、紳士の国だったり、スマートさが売り物だったりするんだけど、映画の世界で描かれるイギリスはそんなイメージをいとも簡単に打ち砕いてくれる。男たちは失業や厳しい労働条件に苦しみ、少年たちはろくに学校へは行かない。高校や大学へ進むのはほんの一握りの者だけで、今なお階級社会が色濃く残っているようだ。
この映画に出てくるリアムやピンボールもそのままの労働者階級予備軍だ。勉強よりも目先の小金に目が眩んでいる。
そして、リアムの救いと悲しみは、刑務所に入っている母親を愛していること。自分の16歳の誕生日に出所してくる母親のために、自分と母親が平和に暮らせる家を持つことを夢見ている。

しかし、なんて暗い映画なんだ。イギリスの映画は、閉塞感で一杯だ。
リアムの日常は、ある意味暗くて陰湿。母親と住む家を手に入れるために努力するのはいい。でも、その方法はどこかおかしい。歯車が狂っている。
リアムがどうしようもない少年なら、それも理解出来るけど、彼は頭も悪くないし、善悪も判断できて、行動力もある。そんなことがわかっているだけに「歯痒い」。
そして、どこか歯車が狂っているイギリスの社会構造に対して「腹立ち」を覚えてしまう。
この映画は「やるせない青春のスケッチ」だとか「少年から大人への脱皮を描く」なんて捉えられているのだとしたら、イギリスは本当に狂っているとしか言いようがない。

少し前に「がんばれリアム」というイギリス映画があった。この映画を観たときに、こんなお話しではリアムは頑張れないよ、と思ったけど、15歳になったリアムもこんな社会では頑張れないよね。
社会や青少年が抱えている病巣は日本だけが抱えているのではなく、イギリスでも抱えているんだ。そんなことを思い、ホッとしたような、それでいてリアムの問題はイギリスでも当たり前のことではなく、特殊なケースであって欲しいと願わずにはおれない、そう思った。

リアムを演じていた少年は好演。この子は芝居が出来る(それとも地のまんまか?)。今後に期待しましょう。
同じような境遇でも「リトル・ダンサー」にはまだ夢があった。でもこの映画には夢も希望もないよ。このままではイギリスのこの手の映画は、もう観たくない、そう感じた。つら過ぎます。

この日は水曜のレディースディでガーデンシネマはほぼ満席でした。
観ていて「楽しい」映画ではありません。興味がおありでしたらどうぞ。ボクは特に勧めはしません。

おしまい。