「ふたりのトスカーナ」

一人でも多くの方に観てもらいたい


  

今度は渋谷から有楽町まで移動。北風が強くて、気持ちがいいけどちょっぴり寒い一日だった。
ここも一杯だったらどうしようと、ドキドキしてたけど、結局お客さんは30名ほど。このシネ・シャンテは可もなく不可もなくと言った普通の劇場。梅田で言うとちょっとおしゃれできれいな三番街シネマってとこでしょうか。

観てきたのは関西ではまだ公開されていない「ふたりのトスカーナ」。
いわゆるホロコーストものなんだけど、先日観た「戦場のピアニスト」とはまるでタッチが違う。舞台はイタリア、フィレンツェ郊外ののどかな農場。終盤近くまで主人公たちがユダヤ人だとはボクは気がつかなかった(うすうすとは感じてたんだけど)。
最後の最後になって、一気に陰惨なストーリーになります。そこに至るまでは、まるで子供の日記のように脈絡もなく淡々と数々のエピソードが綴られていきます。

確かに悲しいストーリーだと思う。
でも、ボクはこの映画にはどこかちぐはぐな印象を受けてしまった。それはペニーとベイビーが両親を突然の事故で亡くし、伯父さん夫婦の住むフィレンツェ郊外にある屋敷に引き取られてからの一連のエピソードとこの映画のほんとの主題とが上手く噛み合っていないように思えたからだ。
この二人が屋敷や農園の子供達との間で繰り広げる様々な挿話がそれぞれ独立していて、その場その場で完結してしまっている。本題への伏線になっていないのが惜しい。
最後に「ああ、ここに繋がっていたのか」というものがあんまり感じられなかったのが不思議なほど。特に叔母との間にもっと深い絆が生まれていてもおかしくないのに、叔母さんよりもむしろメイドのローサとの結びつきの方が深そうだ。伯父夫婦の娘達との交流や葛藤もあまりにもさらっと描きすぎで実感が湧かない。そうなると、ペニーとベイビーはこの屋敷にとってあくまでも「お客さん」であって、本当の家族になっていたとはとても思えない。
本来ならこの映画はペニーの視線に徹するべきだったのではないでしょうか。そんな気がします。

でも、この映画はつまらない映画かと言えば、決してそんなことはありません。牧歌的な雰囲気から一転して悲劇になる。そして戦争とはこんな戦闘とは全く関係のないのどかな人々をも巻き込んでしまう、そんな悲しくて愚かなものだと、その落差故に感じてしまう。そんな示唆に富んだ映画です。
今、世界を覆うキナ臭いご時世だからこそ、一人でも多くの方にご覧いただきたい作品だと思います。
関西では、近いうちに三番街シネマで上映予定があるようです。

おしまい。