「戦場のピアニスト」

とっても重い


  

今回は試写会。三国小町さんからご招待いただきました。ほんとにいつも有難うございます! また今回初めてロイヤルハイネス御影(仮名)さんとも親しくお話しをさせていただくことができ感激です。
会場は梅田のシアター・ドラマシティ。ここは座席が良くてほんとに観やすい(今回もいい席をご用意いただきました!)。他の映画館もこんなんだったらいいのに!

さて、映画のお話し。今年のアカデミー賞の有力候補の一つとも囁かれているこの「戦場のピアニスト」。いわゆるホロコーストものです。
正直言っていまいち掘り下げが足らないような気もしましたが、リアリティさではピカイチ。
人間、精神的にも肉体的にも追い込まれたら、最優先されるのは食欲なんだなぁと再認識させられます。たとえその人が繊細で崇高な精神の持ち主であったとしてもい、飢えに対する渇望は何物にも優先されてしまうのだ。

それにしても圧倒的な悲劇だ。
「胸が痛む」とかそんな生易しい言葉ではとても言い表せない悲劇がスクリーンで再現される。
ボクが特に衝撃を受けたのは二つ。ゲットーの街角で豆のスープを売ろうとしている老婆とその鍋を奪おうとした男が揉みあっているうちに鍋が地面に落ちてしまう。その男が路上にぶちまけられてしまったスープをそのまま口に運ぶシーン。もう一つは、ゲットーから収容所に向かうためにユダヤ人が大勢集められていた広場にかばんや持ち物が累々と残されているシーンだ。まるで信じられない行為と狂気がスクリーンを覆っている。

前半部分で主人公のピアニスト、シュピルマンは楽観的とも見えあまり生に対する執着を感じさせない(あるいはそれは彼だけでなく、ワルシャワで暮らすユダヤ人全体に言えたとなのかもしれないけど)。そして家族との別れに対しても悲嘆に暮れるそぶりも無かったような気がする。ゲットーに残ったユダヤ人の反乱に対しても、それに参加できなかった悔恨の念は言葉だけだ。
シュピルマンは時代の波に翻弄され、それに抗うことが出来ない自分自身の無力さにほとほとまいっていたのかもしれない。後半になるにつれ、個あるいは我の生に対する欲求、すなわち食に対する貪欲さが前面に出てきて彼自身の存在感は増していく。恐ろしい形相だ。
火炎放射器で焼かれる病院から裏庭の壁を乗り越えて目にした一面の廃墟。そこには恐ろしいまでの虚無感よりも、生に対する欲求を感じたのに違いない。そこまで到達した人間の行動はきわまてシンプルだ。生きるためには食べなければいけない。彼は食べるためにのみ行動する。
そうか、ある意味この映画の演出は極限近くまで抑制されつくしていたのかもしれない。

主演は、先日観た「ブレッドアンドローズ」にも出ていたエイドリアン・ブロディ。鬼気迫る演技には驚かされます。彼と顔なじみのユダヤ人警察の顔役もいい味出していますね(この人が結局どうなってしまったのかが気にかかりますけど)。
とにかく圧倒されっぱなしの2時間半。ちょっと長いかなと思わないでもありませんが、ご覧になっても損のない映画です。まぁ、時間とお金を費やしてまで暗い気持ちにはなりたくないという方にはおすすめはしませんけどね。
近日中(2/15)に梅田ではナビオTOHOプレックスでロードショー公開されるそうです。

おしまい。