「アイ・ラブ北京」

轟音をたてて変わっていく北京


  

北京も上海も、中国の都会はどこもかも音を立てて大きく変貌している。街の様子もしかり、人々の考え方もしかり。
ここ10年ほど中国を見てきたけれど、初めて行った北京の夜は、街灯も無く漆黒の闇に包まれていたなんて信じられないほどだ。町行く人々はくすんだ色の人民服を着込んでいた。クルマの数は少なく、自行車(自転車ね)が雲霞のごとく大通りを埋め尽くしていた。今も昔も変わらないのは、必ずどこかで大規模な建築工事が行われていることぐらいか。

そんな北京の様子を主人公の目を通してスケッチしたような映画が、今回ご紹介する「アイ・ラブ北京」。主人公はタクシーの運転手。さまざまなお客を載せ、北京中を走り回り、お客さんの表情越しに街の変化や、人の変化、経済の変化を敏感に感じ取っている。
人々はいつの間にか心や徳などを忘れ去り、モノやカネだけを有難がるようになってしまったのか。そして面子にだけはこだわり、いつしか心を無くしてしまう。
いつも時代を感じ取っていたつもりになっていた馮徳(主人公)だが、いつしか自分が時代そのものにに流されていることに感づく。そして、生きることや人を愛するとはどういうことなのかに気がつくまでを描いた、どこかほろ苦い作品だ。

馮徳はちょっとマリナーズのイチローに似たまだ若い男だ。小型車(ダイハツのシャレード)ではなくちょっと高めの料金設定がしてある中型車(ワーゲンのサンタナ)に乗っている。いつも金儲けと女しか頭に無い。街で拾った女を載せていちゃついている。こんな自分でも小金は持っている。いつか大儲けして一旗揚げてやろうとは考えているのだが、実際は稼いだ小金は見栄を張って綺麗に使ってしまう。家にも寄り付かず、結婚した女性とは離婚した。
常連のお客に連れられて入った高級クラブ(値段だけが高級なのね)では、いっぱしを気取ってみるもののどこか場違いなものを感じてしまう。
離婚後もとっかえひっかえ女に入れ込むが、馮徳は女たちを愛しているわけではない。そんなある日、大学に勤める女と知り合った馮徳は、次回のデートでその女から別の女を紹介される。垢抜けない、田舎から出てきたばかりで、大学で彼女と同僚なのだと言う。その女には何の興味も覚えなかった馮徳だが...。

馮徳の日々の姿を追い、次第に馮徳が今の自分の生活に膿んでいくのがわかる。彼のやるせなさがこちらにも伝わって来る。
このひと夏だけで馮徳が本当に変わったのか、目が覚めたのか、どれだけ変わったのか。それはボクにはわからない。でも、クルマを降り道端で吐きながら馮徳は確かに変わった、いや変わろうとしていることだけは伝わってきた。ある意味、この夜、馮徳は大人になったと言うか、彼の青春が終わったんだ。

あまりにも急な経済改革の中で、中国に住む多くの人たちが翻弄されている。
そんな姿の一端を馮徳の眼を借りて見ることが出来る作品です。
そんなにオススメと言う訳ではありませんが、現代の中国に興味をお持ちの方なら観て損の無い作品だと思います。このスマートさの無さこそが中国なのかもしれません。

おしまい。