「夜を賭けて」

骨太の感動作


  

秋口の長期予報によれば「この冬も暖冬」と言っていたような気がするんだけど、夏の終わりから一足飛びに冬になりそのまま寒い。特に12月後半から一段と冷え込んでいるような気がする。先日、通勤途上にある梅田の気温計は0度だった! こりゃ寒いはずだ。

そんな寒さを吹き飛ばすような骨太の映画を観た。
十三にある第七藝術劇場と動物園前にあるシネフェスタで上映中の日本映画「夜を賭けて」。

この映画を「在日朝鮮人の昭和史」という切り口では片付けたくない。そうではなく「人間の持つバイタリティと明るさを描いた作品」と位置付けたい。
久々に映画を観て、原作を読みたくなった(梁石日・ヤンソルギの同名小説が原作・幻冬社文庫)。そして今読み始めている。

映画を観ながら、いったいどこでロケをしたんやろ?って考えていたら、なんと韓国の群山にオープンセットを組んで、そのセットそのもののバラックに役者もスタッフも4カ月泊り込んで作り上げた作品だと言う。そりゃ凄い! どうりでリアルなセットなはずだ。画面から生活臭がぷんぷん漂っている。
主演の山本太郎がいい。彼の時に鋭く厳しく、時に優しい表情がいいよね。それに彼に限らず、顔を出している役者さんの表情がどれもいい、表情が生き生きしている。これは素晴らしいことです。
存在感があるのは、ヤクザ者になって家へ帰ってくる健一(山田純大)、40過ぎの独身男・金村 (六平直政)、義男の友人ユーシン(仁科貴) 、そして風吹ジュン(この人、ほんとに役者さんになったなぁ)。

「俺たちに未来はあるのか。いや、無い!」とあっけらかんと言ってのける。
このストーリーは凄い。

でも、帰る場所も無い。「ここで生きていくにはこうするしかないんや」と逞しく生きていく主人公たちの姿は素直に感動できる。しかし、彼らをここまで追い込んでしまったのは日本人のせいだ。その点はきっちり反省しなければならない(認識しなければいけない)。
異郷の地で暮らすことを余儀なくされた朝鮮人の人たちが、日本では底辺に追いやられて生活している。でも、そこにあるのは「恨」だけではない。生活の中には明るさもあり、笑いもあり、時には希望さえもあったかもしれない(そんなことさえ知らなかった)。
戦後を迎え、そして半島の南北分断。そのなかで、望郷の念捨てがたく、北からの帰国事業の謳い文句に心が大きく揺れるのもさりげなく描かれているが、よくわかった。

「これって、労働でしたんかいな。てっきり盗みやと思うてた」

結局、悲しい結末を迎えてしまう。
でも、ラストで「これでおしまいや」なんて誰も思わなかったに違いない。彼らは逞しく、またどっかで生き残っているに違いない。また歩き始めているに違いない。そんな予感を抱かせてくれるのがせめてもの救い。

決して難しい作品ではありません。素直に観て、素直に感動できる。なかなか素晴らしい作品。音楽もいい。多くの方に観てもらいたいと思った。
もうしばらく、上記の2館で上映中です。ボクが思っていた以上のお客さんが入っていました。

おしまい。