「金魚のしずく」

香港の若者事情


  

また動物園前。月曜日のせいか、公開して3日目だと言うのにお客さんはボクを含めて4人だけ。
今回は香港の映画です。以前「福岡アジア映画祭」で観た「初恋メリーゴーランド」に出ていたゼニー・クォックが主演。

正直言うと、ちょっとわかりにくい作品だった。
ゼニー・クォック演じる「P」の女友達チョーが家出をして行方不明になってしまう。チョーの祖父ウーは大陸で刑事をしていたが、今はリタイアして、香港で無人島の管理人をしている。チョーの母親(ウーの娘)に頼まれたウーは孫娘を探し始める。
ウーはチョーが残した携帯電話に電話を掛けてきたPと落ち合い、一緒にチョーを探し始める。
出だしは、ウー老が孫娘を探すところにも力点が置かれているが、次第にチョー探すのは形だけになり、ウーの視線から見た香港のハイティ−ンの実情を捉えることに力点が変化していくように思える。

ここから見えてくるのは、香港の若者たちも日本の若者たちも、することや身に抱えている問題はそう変わらないということか。家庭内の問題に嫌気が差したり、些細なことがきっかけになってプイっと家から飛び出してしまう。家に帰らなくても何とか生活して行けるのだ。
そして、携帯電話やプリクラ、プリクラが貼り散りばめられているノートなど...。これが日本の女子高生の持ち物だと言われても、ボクには区別もつかないよ。

映画の中でウー老は、そんな若者たちの生活を否定もしないし、肯定もしない。ただ淡々とした目で彼らを見つめている(但し、何度か鉄拳で助け船は出すけどね)。Pも自分の胸のうちを吐露するようなセリフはない。
見ているボクもドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥る。そう言った意味で、ちょっとわかりにくい映画なのだ。

一番わからないのはチョーの両親だ。この二人が出てくるシーンは結構多いのだが、最後までこの二人の関係や考えていること、それに父親の仕事などがさっぱりわからなかった。それに最後の方で冷蔵庫から出てくる鍵は何? この夫婦、なんか雲を掴むような設定で、この映画のわからなさに輪をかけているような感じだ(しかも、この二人はしょっちゅうご飯を食べている)。

もう少し整理してわかりやすくすれば面白い作品だと思うんだけど、ちょっと作り手の独善的な部分が前面に出すぎたような気がします。惜しいな。

ゼニー・クォックは「初恋メリーゴーランド」の時の方が良かったかな。今後、彼女がモデルではなく俳優としてブレイクするには、もう一皮剥ける必要がありそうです。それでも十分期待を抱かせる女の子ではあります。要注目。

おしまい。