「チャルドと生きる」

まだまだ知らないことだらけだ


  

動物園前シネフェスタ4で観る。今回はいつものシネフェスタに戻っている。
なかなか良く工夫された映画だ。イランの映画を年に何本か観るようになって、イランという国を少しは知っているような気になっていたが、まだ行ったことさえない国だから、やっぱりまだ何にも知らないんだなぁと思い知らされた映画でもあります(もちろん何度か行ったことがある中国や韓国のことですら知らないことばっかりやけどね)。

この映画はイランに住む女性に的を絞ったストーリー。何人かの主人公がいる群像劇でもありますね。主人公が別の主人公に道でふとすれ違う、すると映画のお話も切り変わって、別のエピソードが新たに展開される。その切り替えの手際良さが実に見事(見事すぎて、最初はついていけなかった)。そして、最後にはぴたっと収まってしまう。
イランの女性を描いた映画はキシュ島を舞台にした「私が女になった日」があったけれど、今回のお話しは都会に住むどっちかと言うとややアンダーグラウンド的な女性たちが描かれている。その分、イラン(イスラム国家?)で女性が置かれている立場が鮮明に描かれているような気がしました。
イスラム教下での女性の立場がいいのか悪いのか、それをボクには判断することは出来ないし、当の女性たちも今の自分の世界しか知らないわけだから、その態度には「抑圧されている」とか「(今の立場を)甘受している」という風も無い。

まず、出てくるのが警察官の姿に異様に怯える二人組み。話しの流れから、どうやらこの二人は刑務所から脱獄してきたようだとわかってくる。何とかお金を工面して若い方の女性が故郷へ戻るためのバスのチケットを購入するが、バスの乗車口には警官が手荷物検査をしていて、彼女はバスに乗り込むことができない。ターミナルの建物からそのバスが出発してしまうのを盗み見しているのが精一杯だ。
タバコ屋のオヤジからタバコを買うが、タバコに火を付けようとすると「こんなところで、女にタバコを吸われたらこまる」と言われてしまう。また、女の一人旅は学生証か同伴者がいないと切符は売れないとチケット発見窓口のお兄ちゃんに突き返されてしまう(なんとか粘って売ってもらったが...)。細かいエピソードに女性の立場が見え隠れしている。
この二人と一緒に逃げてきた女は市内にある実家に戻っていたが、そのことを聞きつけた兄たちが押しかけて「自分の目が黒いうちは、この家の敷居をまたがせない」と家から追い出してしまう。実はこの彼女は妊娠していて(監獄に収監されていてどうして妊娠するんや?)、中絶手術を受けようとするのだが、手術には父親の同意書が必要だと言ってどこも受け入れてくれない。
途方に暮れて街を歩いている彼女は、女が子供を置き去りにする現場を目撃してしまうのだ...。

観ていて、決して明るくなる映画ではありません。でも、ちっとも難しくなくて、なんか堅苦しいわけでもなく、「そうか、そうなんだなぁ」って思ってしまいまう作品です。
最後に、娼婦が警察署に連行され留置所に入れられて、この女からカメラがぐるっと薄暗い留置所内を写しはじめると、そこにいるのは先ほどまでこの映画で各々のエピソードを語っていた女性たちが顔を揃えているという「オチ」がついています。
語り口、エピソードのつなぎ方は秀逸。
もう上映は終了しましたが、チャンスがあれば是非ご覧いただきたい映画です。
どうして映画のタイトルが「チャルドと生きる」なのかは、映画をご覧になればわかるようになってます。

おしまい。