「小山の帰郷《仮題》」

ジャジャンクーの実験作


  

この日の三本目は京都で開かれている“京都国際学生映画祭2002”。
映画のタイトル「小山」は「コヤマ」ではなく「シャオシャン・Xiao Shan」。だって、大陸の映画だから。
今年観た「プラットホーム」や昨年公開された「一瞬の夢」(未見)という映画を撮ったジャジャンクー監督が北京電影学院に在学中の1995年に作った映画。原題は「小山回帰」。
日本での上映は今回が二回目だそうで、日本語字幕付きでの上映は初めてだと説明があった(しかも、字幕は今回の主催者が付けたそうです、ご苦労様、ありがとう)。
今回は縁がありご招待頂きました。ありがとうございます。

新京極から二、三本ほど東へ入った御幸町は、知らないうちにアカ抜けたお洒落な通りに変貌している。若者向け(決して、ガキ向けではない)のこじゃれたお店と古くからの店、そして仕舞屋が混在しているが、もう数年もすればもっと洗練された通りになっているような気がする。
そんな御幸町と三条が交差する東南の角にある古めかしいビルの3階あるのが、この日の会場「ART COMPLEX 1928」。なんか高校にあった講堂を小さくしたような雰囲気で、やたらと天井が高いのが印象的。100脚ほどのパイプ椅子が敷き詰められ、プロジェクターを使っての上映は文化祭のノリだ。この会場に8割程度の動員だ(これには驚いた!)。

とにかく不親切で解りにくかったジャジャンクー監督の実験作(?)とあって、それなりの覚悟はしていたものの、その予想をはるかに上回る難解な作品で、正直なところちょっとわからなかった。
「プラットホーム」のときはそれどもおぼろげながらもテーマというか、伝えたいことは理解できた。でも今回は...。

小山(シャオシャン)は山西省から北京に働きに出てきている若者。レストランの厨房で料理人をしている。忙しくて、目前に迫っているお正月には帰省できそうにない。仕事にも嫌気がさしている、そんな気持ちが態度に出てしまう。店のオーナーに咎められ、小山は解雇されてしまうのだ。
小山は自分の部屋に戻り、同郷の友人たちに連絡を取り始める。
数人の友人と兄に会い「一緒に帰省しよう」と誘うのだが、誰も帰らないと言う。その代わり、言付けを頼まれたり、お土産を託されたりするばかりだ。
結局、都会に出てきた者はそれなりに自分の生活を北京で築いており、田舎との結びつきはどんどん薄くなっている、ということなのだろうか?

フィルムを使った作品ではなく、ビデオ。全ての面で拙さが目に付く作品だけど、ある意味それが効果的に今の北京の若者たちの様子をリアルに焼き付けることに成功しているようにも思えました。
決して、スマートなばかりじゃない。ごみごみしてごちゃついている都会の生活。そして、それに馴染めない小山。雑踏の中で独り浮いてしまっている。かと言って、帰省したところでそこに小山が思っている生活が待っているわけでもないのだろう。そんな、焦りというか、諦めというか、そんな気持ちは伝わっては来ました。

1時間と少しの上映時間でしたが、正直言って苦痛でした。
まっ、この作品が次回いつどこで上映されるかはわかりませんが、ジャジャンクーに興味が無ければ、ちょっとしんどいでしょうね。でも、商業的成功を意図して作られた作品ではないので、ある意味仕方ないですね。

動員数だけ見ればこの“京都国際学生映画祭2002”はそこそこの成功だったのではないでしょうか。来年以降も頑張って下さい。
そう言えば、昨年はこの時期に同時にT京都映画祭Uが開催されていたのに、今年はどうしたんでしょうね。

おしまい。