「プロミス」

これが“最初の一歩”にならない


  

このままでは何も解決しない。

イスラエルという国で、ユダヤの人々が主に話しているのは「ヘブライ語」。でも、この土地に住むパレスチナの人たちが話しているのは「アラビア語」。発音も異なれば、文字も違う。ボクは不勉強で皆んな英語を話しているのだと思っていた。

特にストーリーがあるわけではなく、ユダヤとパレスチナの子供たちにインタビュー集のような映画。
このインタビューを通して、一つの事実が見えてくる。
パレスチナもユダヤ人も実は「お互いのことは何も知らない」という事実だ。
インタビューの中で相手のことを非難する割にはお互いの実態については、ほとんど何も知らない。
教えられていないのも事実だけど、エルサレムではお互いが混在しているにもかかわらず、口をきこうともしないのだ。お互いがお互いを「こうだ」と決め付けていて、交流を持とうともしない。不思議な関係だ。
パレスチナ問題の解決の最初の一歩は「お互いを知ること」なのかもしれない。
別に難しい話をしなくてもいい。互いに少し喋れる英語だけを使って、子供たちは充分コミュニケーションを取ることができるのだ。あとは子供同士で勝手に仲良くなっていく。そこには人種や信条、宗教などが入り込む隙間はあまりない。事実、子供たちは出会ってから数時間でもう友達になっていた。
この映画を観てわかったのは、パレスチナの人々にとって「ユダヤ人」や「イスラエル人」は言葉として忌み嫌う存在なんだけど、個人として知っているBJ(イスラエルで生まれ育った米国人でこの映画の監督)を憎んだり嫌ったりはしていない。「だって、BJは別だよ」って言葉が飛び出す。記号としての「ユダヤ人」が嫌いなだけなんだ(もちろん、その逆もしかり)。
だったら、もっともっと知り合いを増やせばいいのに。でも、なかなかそう簡単には行かないようだけどね。「パレスチナの人とは会いたくない」と言う入植地に住むユダヤ人の少年の意見が象徴的です。

ボクが普段触れるイスラエル・パレスチナ問題のニュースは、イスラエルの発表か米国のメディアが取り上げたものの「垂れ流し」だ。パレスチナ側から報道されるものはほぼ皆無だ。
今回、エルサレムやキャンプに住むパレスチナの人々のことをほんの一部だけど知ることができ、とても良かった。ニュースなどでパレスチナ問題を耳にするたびに、この映画で観た子供たちを思い出すことでしょう。
また、この映画はイスラエルにもパレスチナにも偏っていない、比較的中立な視線で作られていると思う(ほんとはどうかわからないけれど)。だから、この映画に結論なんて用意されていないし、意見や考え方の押し付けも無い。とても好感が持てました。

当初の予想よりも、政治色もメッセージ色も強くない映画でした。だから中東問題の知識が希薄な方が観ても大丈夫。いや、そんな方にこそ 是非観てもらいたい映画です。
大阪ではもう少ししてから九条のシネ・ヌーヴォで公開されます。よかったらたまにはこんな映画も観てみてください。エルサレムに行ってみたくなりますよ。

おしまい。