「肉体の約束」

あまりにも余韻がない


  

1975年の作品。
この映画を観て「ピン」と来た人は偉い(?)。
残念ながらボクは事前にチラシを読んで知ってしまっていたのだが、設定やストーリーは1972年の岸恵子、萩原健一主演、斉藤耕一監督の日本映画「約束」と全く同じ。
これにはワケがあって、この両作品とも1966年の韓国映画「晩秋」のリメイクだそうです。知らんかったなぁ!

簡単にお話しを紹介すると...。
偶然、汽車で同席した三十路半場の女二人組と二十歳過ぎの男。何気ないやりとりから話しをするようになる。女の一人は囚人で、特別休暇をもらい母の墓参に麗水(ヨス・地名)へ行くところ。もう片方は看守だ。男は麗水へ友達に会いに行くと言う。
男性不信で何度も自殺を図っている囚人・ヒョスン。看守はこの若い男に男性不信を取り除いてやって欲しいと持ちかける。その気がないヒョスンだったが、じょじょに若い男に心を開いていく。
墓参りを済ませた二人は、麗水の灯台下にあるベンチで、結婚をし、愛の巣を持つ誓いをたてる。そして、午後6時にもういちどこのベンチで逢う約束をする。ヒョスンのタイムリミットは麗水を23時に出るソウル行きの最終列車なのだ。
その間、ヒョスンは束の間のショッピングをして気を晴らす。一方、若い男は友人と会うが事件に巻き込まれ、友人を殺してしまう。現場から逃走する若い男。
そして約束の時間を大きく回っても、真っ暗な中ろうそくを灯して男をベンチで待つヒョスン。やがて、息を切らした男が現れる。しかし、二人が結ばれる時間はもうない。
駅で看守と落ち合い最終に乗り込む三人。その後を追うように刑事が乗り込んできた。刑事はこの若い男を追ってきたのだ。看守が刑事と話しをつけ、若い男の逮捕を待って貰う。
もう間もなくソウルという駅で、彼等を乗せた汽車は30分の通過待ちをすることになる。ホームの向かい側に停まっている誰もいない客車の中で、ヒョスンと若い男は...。
やがて、三人は刑務所に着く。ここに来てもヒョスンは、自分はこの若い男の欲望のはけ口にされただけだと思い込んでいたが、看守から若い男が刑事に追われていることを聞かされ、彼の心を知るのだった。

ボクは、岸恵子の「約束」を以前にテレビで見ている。両者を比較する気は無かったが、どうしても比較してしまう。
一番の違いは「約束」は女性の観客を意識した綺麗で上品なテーストを醸し出す正調(?)メロドラマであったのに対して、この「肉体の約束」は主に男性の観客向けにポルノぎりぎりの作りになっている、悪く言えば下品だ。これは、きっと当時の映画市場の男女比が日韓では大いに異なっていたからだろう。それとも、キムギヨン監督が持つ独特の女性観から来ているのだろうか。
細部は比較しても仕方ないけど、もう一つはヒロインの相手役・韓国のショーケンが冴えないことを挙げたい。もうちょっとかっこいい男優はいなかったのか? それとも、彼は当時のアイドルだったのだろうか?
もう一つ言わせてもらうなら、余韻の無さを挙げたい。ヒョスンは若い男が逮捕されることを知ってしまっているし、出獄後、結婚して一児を設けて平凡な生活をすることが明示されている。これはあまりにも余韻がない。若い男が捕まったことを知らずに、約束したベンチで待つヒョスンの姿に胸をふるわせ、目頭を熱くするものではないでしょうか。
軍配は岸恵子版に上げたくなりますが、いかがでしょうか。どうせなら、原作の「晩秋」も観てみたくなります。

女看守役は「異魚島」で祈祷師のアジマを演じていた人です。この人、なかなか達者な女優さんですね。
鑑賞したのは、ボクを含めて二人だけという淋しさ。映画館ではないから仕方ないけど、折り畳みのパイプ椅子で映画を観るのは、ちょっと辛いですね。

おしまい。