「家路」

観る人が判断する映画


  

このところ週末は天気が崩れる。そして、嫌なことにウィークディに日本晴れが巡ってくる。こんなにいい天気なのに、こちらは山へも行けず、指をくわえているだけなのは、ちょっとね。腹は立たないけど、やるせない。
このあいだの日曜は朝から激しい雨、昼間はちょと上がっていたが北風が強くて、何も出来なかった。
でも、映画はお天気に関係なく上映されるから、全天候型レジャーですね。あまりにも気持ちのいい天気の日に観に行くのはもったいないけどね。

さて、今回観てきたのはフランス映画の「家路」。最近はすっかりミニシアター系の上映が板に付いてきたOS劇場C・A・P、のハズだったんだけど、この日は何故か「家路」と「チング」の上映館が入れ替わっていて「家路」はOS劇場で上映。「チング」の入りが悪いからかなぁ。
この映画、今週一杯の上映だけど40名ほどの入りで、想像より多い。お客さんはお年を召した方が多いのが特徴かな。

一言で表現すると、静かな映画だ。

テーマはずばり「老い」ですね。

役者さんって、特に定年があるわけでもなし、極端な話しをすれば足腰が立たなくなるまで仕事を続けられる。だから主人公の老俳優・ジルベールもきっと自分が年だなんて考えてもいなかったはずだ。
だけど、突然の交通事故で妻と娘夫婦を失い、幼い孫との生活が始まり、さらに、アメリカ映画で自分よりずっと若い役を演じることになり、にわかに自分自身で「老い」を感じるようになる。

冒頭にジルベールが舞台を演じているシーンが長々と入る。そこにはかくしゃくとして芸達者なジルベールがいるわけなんだけど、人間ってほんとにどんなことがきっかけになって「老い」を感じるのかわからないものだ。
本人は元気で若いつもりでも、孫との二人暮しを心配する周囲の声を否定しているうちに、だんだんとその気になっていったのか。それとも、パリの夜道で注射器強盗に出くわして自覚したのか、妙に頑固になりエージェントを叱りつけた自分にはっとしたのか...。それら全部をひっくるめてのことなのか。

新しい仕事が舞い込んできた。映画への出演だ。しかもジルベールが好みそうな配役。しかし、気になるのは若い役ということと台詞が英語だということだ。
でも、自分ではそれは平気だと思っていた。
リハーサルに入るが、上手く台詞が出てこない。台詞が出てこない自分に嫌気が差したのか、それとも、台詞のことを下手に出ながらも毅然とした態度で修正する若いアメリカ人監督(ジョン・マルコビッチ)に腹を立てたのか?
本番の最中に、また台詞をとちったジルベールは「もう、疲れた。自分の家に帰る」と一言言い残して、衣装を着たままセットを歩き出してしまう。

この映画では、まるで何にも結論は出ていない。淡々と心情を交えずに、物語が進むばかりだ。観ているボクたちもジルベールに一方的に感情移入するわけではもなく、ただ観察者のように画面を眺めている。
「さぁ、どう思う?」って訊ねられているような気がした。
だから、観た人によって、この映画の感想は大きく異なるんではないでしょうか。ボクにはよくわからなかった。若い人には退屈なだけの映画だったかもしれない。でも、ある程度お年を召した方にとっては、いろいろ考える映画なのかもしれない。

二人が話をしているシーンでずっと靴が映っている。まるで、靴がお話しをしているように。
映画のリハーサルで、リハーサルしている俳優は一切映さずに、このリハーサルを見ている監督の姿をずっと捉えている。満足げであったり、ちょっと不満げだったり、納得したり...。
この二つのシーンはなかなか面白かった(途中で何度か出てくるカフェのシーンも面白い)。
各シーンが長回しで撮影されていて、スピード感には乏しいくまどろっこしいものの、静かな重厚感が漂う、上手い撮り方をしているなぁ、って感心してしまいました。

おしまい。