「UFO少年アブドラジャン」

欲のない映画だ


  

昨年の偽ジェ大賞に輝いた「不思議惑星ギンザンザ」に続いて、旧ソ連からやってきたなんとも不思議な映画「UFO少年アブドラジャン」。

一言で言うと(このフレーズばっかりやけど)、欲のない映画だ。

おそらくこの映画の監督もスタッフも出演者もこの映画が日本で(ということは、日本以外の国でも)上映されるなんて考えもしなかったに違いない。だから、作りは恐ろしくちゃちで安っぽい(それが、いい味出しているんやけど)。
それはいいとして、どうして欲がない映画なのかというと、ほんとはもっと面白くできたはずなのに、面白さが中途半端。もちろん、今のままでも充分面白いんだけどね。素材の良さを全部出し切ろうという欲を持っていなかったようだ(惜しいなぁ)。

この映画は旧ソ連、今のウズベキスタン(中央アジアにあります)の一労働者が、アメリカのスティーブン・スピルバーグに宛てた手紙の形式をとっている。「昨夜、E.T.を観ました、この映画と良く似たことが私の村でも起こったのでお便りします」という書き出しで始まる。
コルホーズで働く善良な農民のおっさんバザルバイがはぐれた牛を探しに野原へ行ったところ、そこへ不時着したUFOに乗った少年と出会う。
バザルバイは、この少年が宇宙人だということを知ってか知らずか「末息子だ」といって家に連れて帰る。このことが巻き起こす一連の珍事を面白おかしく描いています。
ありふれた発想のように見えるけれど、この後の素朴な話の進み方が実に味わい深い。ハイテクをハイテクらしくなく、泥臭く限りなくローテクに見せる手法はギンザザと同じだ(多分、制作費の関係も大いにあるんだろうけど)。
コルホーズの議長だけがクワにまたがっても空を飛ぶことが出来ないエピソードはほんとにおかしかった。

ギンザザといいアブドラジャンといい、大真面目にこんな映画を作ってしまう旧ソ連という国の懐の深さに、実はちょっとびっくりしてしまいました。
もう少し欲を出して、エピソードを整理して、予算を増やせばとてつもない傑作になっていたかもしれません。もちろん、今のままでも充分傑作。それに、ハリウッドがリメイクしてもボクは観ないかもしれないけどね。

モスクワにいた科学者兼将軍はちょっと意味不明で蛇足でした。

ロフト地下のテアトル梅田で一週間限定のレイトショー公開。急げ!
月曜の晩でしたが、物好きが30名ほど集まっていました。
アブドラジャン、とってもかわいいよ。29日の金曜日まで上映中です。

次回は「キリング・ミー・ソフトリー」をご紹介しましょう。

おしまい。