「プラットホーム」

10年の歳月の流れを思う


  

冬の雨はどことなくもの悲しくて嫌ですね。これが雪だと妙に心もウキウキしてくるのですが。
さて、続けて観たのは、中国の映画「プラットホーム」。会場は同じ渋谷でも随分雰囲気が違うユーロスペースという映画館。「ミニシアター」って感じがする劇場です。ここでこの映画が公開されて一カ月以上だというのに七分ほどの入りとまずまずの人出でした。

一言でいうと「妙に分かりにくい映画」なのです。
ちょっと説明不足だったり、時間の移り変わりが急だったり。ほんの少しの工夫で、ずいぶんとすっきり分かりやすい映画になるのにな。でも、この不親切さが中国らしいと言えば、その通りなんやけどね。この分かりにくさで2時間半の上映時間は、ちょっとツライ。

山西省の片田舎にある街・汾陽(フェンヤン)が物語の舞台。この汾陽に本拠地を置く劇団の若い団員、男女二人ずつが一応主人公。街にいるときも、地方に出かけるときもこの四人はいつも一緒だ。公演内容は毛沢東を讃えるお芝居。娯楽に選択肢がなく、どこへ公演に行っても、どんな内容でも大入り満員だし、大きな拍手と歓声。でも、こんな地方にも近代化と改革解放の波は確実にやってくる。村にも電気が通じ(!)、ラジオやカセットそれにテレビも普及する。台湾や香港からポップスや歌謡曲が流れてくる。娯楽は増え、目は肥える。劇団への政府からの補助は打ち切られ、劇団は自分たちで儲けなければならなくなる。
1980年初頭からの激動の約10年間をこの四人の視点でそう深刻にならずに描いていく。

汾陽という忘れられたような街がいい。この地域ではそこそこ大きな街なんだろうけど(ボクが持っている地図にもこの地名は掲載されている)。明代かそれ以前に造られた城壁が街を取り囲むように残っていて、場内には古い街並みが残っている。主人公達が街から出かけるとき、街に帰ってくるとき、この城壁にある門をくぐる。そのカットが効果的に使われている。
また、主人公達は列車を見たことがない。だから、劇中での列車のシーンを上手く演じられない。地方に出た際に道すがら出会った列車にいい年をした若者達が無邪気に駆け寄って行くシーンは何とも言えない。
北京や上海に住む人たちだけが中国人ではないと教えてくれる。
主人公の従兄弟は、命の補償もなく、一日たったの10元(160円ほど)の賃金で危険な鉱山での労働に従事している。
妙に近代化され、清潔になった北京を見てきたばかりだけに、こんな中国をこの映画の中で観て、少しほっとしました。

映画の中の10年で主人公たちも、主人公を取り巻く環境もがらっと変わってしまったけど、この映画を観ながら、ボク自身も大きく変わった10年だったな、っと思ってしまいました。

主人公たちのなかでも主役の明亮(ミンリャン)がどうもあかん。だらしないと言うか締まりがないと言うか...。彼の役を別の俳優が演じるだけでずいぶん感じが違う映画になるのにな。明亮の相手役・瑞娟(ルイジュエン)を演じた女の子は良かったけどね。

関西ではテアトル梅田で公開されるようです(日時は不明)。
次回はこのところぼつぼつと公開されるようになってきたタイの映画、「レイン」をご紹介します。

おしまい。