8月の果て

新潮社 柳美里 2,600円


  

先日、ようやく850ページもの大枚の小説「8月の果て」を読み終えた。
新聞に掲載されていた書評を読み購入。あまりの分厚さに読み始めるのも持ち歩くのにも躊躇していた。

読み始めてからも「何だかな」って感じだったけれど。100ページを過ぎたあたりからようやくエンジンがかかってきた。このところ 電車に乗っての移動時間も多かったしね

柳美里が書いたものを読むのは初めて。
著者に対する先入観の無さを差し引いても、この「8月の果て」は書き始める前の構想、そして書き始めてから、さらに後半を書き進める途中、その各々で著者の狙いや思いがどんどん変化して大きくぶれているなと思った。その「ぶれ」を差し引いても読み応えがある大作であるとは思うけど、そのぶれが故に名作とはなりえなかった側面も否めないと思う

日本人にとっては耳が痛い話し。半島で大陸で、かつて日本人が犯した罪の重さを改めて思い知らされる。その時代に生きた韓民族の方は、まさしく時代に翻弄され筆舌に尽くしがたい人生を歩まれたことは「間違いない」。それに関しては ボクが謝ったり反省したところでどうしようもないけれど謝罪し反省したい

ただ、この小説の中で語られる物語りと小説としての価値は別の次元で語るべきだ。ある意味著者は「筆に酔ってしまった」部分は否めない。
もしかつてのベストセラー「ルーツ」のような自分自身の出自に迫ることが眼目であったなら、もう少しクールな視線が必要だったのではないか?
その視線の位置や温度差が大きくぶれてしまっているそこが「惜しい」と思う。

語り部としての柳美里の資質や能力は充分示されている。あとは一定した距離を置き語る冷静さが必要なのではないでしょうか。圧倒的な迫力、臨場感はいい。
でも、書き手が熱くなり過ぎると読み手は却って醒めてしまうものだ。
この大枚を読み通す忍耐力を持つ読者はそう多くないだろう

助産婦さんはどうなったのか?
彼女の息子で密陽に残った日本人はどうなったのか?
雨哲の後妻さんは どこへ行き どうやって暮らしたのか?
事実は「解らない」のかもしれない。でも、このお話しは小説。だとしたら 途中で打ち捨てられてしまった魅力的なエピソードは少なければ少ないほどいい。読了後にすっきりしないのはそのせいかな。

もう一つ、これも大事なことだけど、日帝から解放された朝鮮が如何にして東西対立の主戦場と化してしまったのか、それが全くわからない。
ここまで丁寧な記述が続いていたのに東西対立については事実関係が淡々と述べられているだけだ。
それは如何にも惜しい、ある意味片手落ちなのかもしれない。

この部分についてはボク自身他の書籍を当たって勉強したいと思う。残念ながら万人にはオススメは出来ない。かなりの忍耐力が必要なのも間違いない。だけど「韓流」に浮かれている人には、是非「一度目を通して欲しいな」そんなことを思いました。

京阪守口市駅にある京阪百貨店の中に入っている旭屋さんで購入しました。束があるので、持ち運びに困ります。果たして文庫化されるかな?

おしまい。