悲しみが乾くまで

心が動かない



  

心が動かない。
ハル・ベリーもベニチオ・デル・トロも凄くいい芝居をしているし、子供たちの輝く笑顔もいいのに...。やっぱり、物語りには“必然性”が必要だということだ。必然性が薄い物語りには共感できないというか、同化できない。だから心が動かない。だから、何も語り部や語り口が悪いのではないと思う。
何故こんなことを書いてしまうのか。それは、この作品でのベニチオ・デル・トロが出色の出来だと思うから。どうして、この人とスクリーンで出会うのが「21グラム」以来なんだろう? 圧倒的な存在感で、他の人がかすんでしまう。女性から見てどうなのかはわからないけれど、男のボクから見るとしびれる!

エステートプランナーの旦那が突然不慮の事故で亡くなってしまう。その際の奥さんであるハル・ベリーの心情は理解するに余りある。
旦那の葬儀に現れたのが、旦那の幼馴染で弁護士でありながら、クスリに身を持ち崩してしまった男(ベニチオ・デル・トロ)だった。旦那が生きている頃、どうしてこんな男と未だに付き合っている(面倒を見ている)のか理解できずに、彼を嫌悪すらしていた。今だってわからない...。が、あることがきっかけになり、二人は急接近していく...。

お話しは、突然見舞われるハル・ベリーの悲劇と、そこからの脱却、ベニチオ・デル・トロとの関係、そしてベニチオ・デル・トロのクリーン化への努力と広がって行く訳なんだけど、やや複雑になりすぎている。同じ人物が幾つもの問題を抱えすぎているんじゃないかな。だから、焦点がかなりボヤケてしまっている。物語りの中心に、もっとドンっとハル・ベリーの心の再生を据えるべきだっただろうし、ベニチオ・デル・トロの転落の原因をボクたちに明らかにする必要があったと思う。
その努力がなされておらず、周辺が固定化されていないゆえに、複雑に広がる物語りに必然性が希薄になる原因がある。どうして、ハル・ベリーが、親兄弟や近所の住民ではなく、ベニチオ・デル・トロを頼るのか。それがさっぱり伝わってこない。

観る人を納得させる“必然性”とは、難しいものだ。

ところで、ハル・ベリーの隣のプールがある邸宅に住む不動産屋のおっさん。確か「ゾディアック」で犯人だったかもしれない怪しいおっちゃんを演じてたよなぁ...。調べてみると、その通り! ジョン・キャロル・リンチという方。あのアタマが印象的です。
ベニチオ・デル・トロ。もっと観たい。もっと会いたいぞ!
スザンネ・ビア監督の作品を続けて拝見したことになるけど、正直言ってこれはもうひとつだと思う。ボクは「ある愛の風景」をオススメしたいですね。

おしまい。