Dear フランキー

父とフィッシュアンドチップスがつまんでみたくなった



  

最近は観る映画に著しい偏りがあって、あんまり英語が使われている作品を観ていないような気がする。それだけ、韓国の映画が上映されることが多くなって、それを追いかけるだけで必死な状態。これから秋にかけては、中華圏の作品も相次いで公開されるようだし、楽しみではあるものの、時間が足りるかなと心配にもなります。
別に、使用される言語が英語であるのか、どの言語であるのかはあまり関係ない。スクリーンで展開されるお話しが、どれだけボクの心に響くのかがポイントなのだと思う。
今回拝見したスコットランドが舞台の「Dear フランキー」。悪いお話しではではなかったけれど、それほど心に響かなかったのも確か。それは劇的なドラマに慣れてしまったボクの心が麻痺していたからかもしれない。

グラスゴーの郊外に住む小学生。フランキーは耳が悪い。彼の父親は外洋航路の船に乗り、もう10年も家に帰って来ない。だからフランキーは父親を知らない。顔を見たこともない。
家には母親とタバコが好きなその母親(おばあちゃん)がいるだけ。しかも、何故かボクの家は何度も何度も引越しをする。ボクもいつの間にか荷物をまとめたりパッキングすることが上手くなったョ。

そんな出だしに、「父帰る」のようなお話しなのかと思った。でも、少し違う。いや、だいぶ違う。
この映画が心に響くかどうかは、子供を持つ親なのかそうじゃないのかで随分違うのではないだろうか。親が子を思う愛情の深さに驚き、感動する。でも、親じゃないとそれはわからない(理解できない)部分が多いのも確か。

フランキーの許には思い出したように便りが届く。ヨーロッパやアフリカ、そしてはるか遠くアジアから。その港、港から父親が出してくれた手紙。
彼の部屋には大きな世界地図が貼ってあり、そこには小さな旗が立てられている。立っているのは父が手紙を出した港。だから、フランキーは学校で地理がとても得意なのだ。

そして、フランキーは友達から新聞の切抜きを手渡される。それは「アクラ号、グラスゴーに入港」という記事だった。
「お父さんに会える」「でも、お父さんは家に来ないかもしれない」
フランキーの小さい胸は、期待と不安の中で揺れ動く。
もちろん、揺れ動いているのはフランキーの胸中だけではない。母親のリジーも激しく動揺する。

この映画のよく出来たところは、フランキーの視線で描かれているのではないというところ。実は、リジーの視線で描かれているところだ。
アクラ号がもう数日で入港する。どうしたらいいのかわからない。そして、彼女はある決意をする...。

グラスゴーはもっと都会だと思っていた。だけど、映画で写し出されるこの街は意外と牧歌的な雰囲気を残している。フランキーがお気に入りの港が見下ろせる丘は、ボクが持っていたこの街のイメージが(いい方に)覆された。
水面に向かって石を投げる。水しぶきを上げながら、水面をはねて飛んでいく石。

観ていて、ハラハラドキドキする作品ではありません。そうじゃなく、なんか心が潤って、優しい気持ちになれる。そんな作品だと思います。
例によって紹介が遅れましたので、関西での上映は終了してしまいました。DVDやビデオでご覧になっても損はない作品だと思いますよ。
ただ、冒頭にも少し書いたように、完全なお話しではなく、甘い部分やご都合主義も少なくないのも事実。心を高ぶらせず、静かな気持ちでご覧いただきたい、そんな作品です。

ボクは、ひょっとしたらフランキーはほとんど知っていたのではないかと思った。
子供って、そんなものなのかもしれない。

おしまい。